政治

[憲法70年・上]最大のナゾ…「9条」発案したのは誰?

読売新聞調査研究本部主任研究員 舟槻格致

憲法史の大家・古関彰一氏「発案者はマッカーサー」

  • 古関彰一・独協大名誉教授
    古関彰一・独協大名誉教授

 古関氏は、憲法が定める平和主義を強く支持し、「護憲派」からの評価が高い研究者として知られる。安倍内閣による集団的自衛権の行使容認や、安全保障関連法の制定に対しても、批判的な姿勢を貫いてきた。この点で、憲法制定史研究のもう一人の大御所で、憲法改正論者として知られる西修・駒沢大名誉教授とは、対極的な立場をとってきたといえる。

 その古関氏が「9条発案者はマッカーサー」という見方を示したことのインパクトは小さくないだろう。

 古関氏の分析を紹介する前に、9条ができた歴史をたどってみよう。

 日本は1945年8月15日の終戦の後、GHQに占領された。日本国憲法の本格的な起草作業は、46年2月3日にマッカーサーが憲法の基本について記した、いわゆる「マッカーサー・ノート」をGHQの事務方に示したことでスタートする。マッカーサー・ノートには「3原則」、つまり(1)天皇は国の最高位にある(2)紛争解決手段としての戦争を放棄する(3)封建制度は廃止する――の三つが記されていた。マッカーサー・ノートを踏まえて、GHQはわずか1週間ほどの突貫工事で新憲法の草案を完成させて、同月13日に日本側に提示。続いて3月6日にGHQ草案をベースに作られた日本政府原案が発表され、10月7日に帝国議会を通って11月3日に公布、翌47年5月3日に施行――というのが、日本国憲法制定の流れだ。

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 この経緯を見ても、憲法の最も「源流」にあったのがマッカーサー3原則であり、2番目の「戦争放棄」が今の9条につながっていったことは明らかだ。問題は、これがどのようにして作られたかだ。

 憲法が施行された当初、「9条を発案したのはマッカーサー」と誰もが思っていた。ところが、施行から4年以上たった51年5月5日になって、マッカーサーが米議会で「9条の発案者は実は幣原だった」と証言したことで、「幣原説」が急浮上する。マッカーサーは64年に出版された『マッカーサー回想記』でも、46年1月24日にマッカーサーと会談した幣原が「日本は軍事機構は一切もたないことをきめたい、と提案した」と記している。つまり、3原則の2番目は、幣原の意見を受け入れて作られたものだったというのである。

 これと呼応するように、幣原サイドからも「幣原説」が唱えられていく。例えば、幣原の話を友人が聞いて書き残したメモの中で、幣原がマッカーサーに「戦争を世界中がしなくなる様になるには、戦争を放棄するという事以外にない」と訴え、マッカーサーと手を握り合ったという話が紹介されるなどしたことで、幣原説はさらに有力となっていった。

 マッカーサーと幣原が密室で二人だけで話し合ったとすれば、二人の証言に反証を示すのは不可能だ。一方が「100万円受け取った」といい、相手が「いや渡していない」といった学校法人・森友学園をめぐる「安倍首相夫人寄付問題」以上に、第三者が「真相はこうだ」と反論するのは難しいかもしれない。だが、両者の会談で幣原から9条のアイデアが出されたという証言は、憲法制定からかなりの時間をおいて飛び出したものだけに、疑問視する声も従来根強かった。

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