政治

[憲法70年・中] 9条を縛る「法解釈の美学」

読売新聞調査研究本部主任研究員 舟槻格致
 「戦力を保持しない」とうたった憲法第9条は、70年間にわたって日本の安全保障政策を縛り続けてきた。日本は自衛隊と日米同盟を土台に平和を守る努力を重ねてきたが、日本が有事にできることには、今なお制約が多い。今回は、9条の解釈をめぐって政府が格闘してきた「試行錯誤の歴史」を、分かりやすく読み解きたい。

 

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安保法制は大きな解釈変更でない?

 安全保障関連法が昨年3月に施行されてから、約1年がたった。法律の最大のポイントが、「集団的自衛権の行使を、限定的に認める」という点だった。集団的自衛権とは、日本が直接攻撃を受けなくても、米国など同盟国が攻撃を受けた場合には、日本が攻撃を実力で阻止する権利で、戦後歴代内閣が「憲法上許されていない」と繰り返していた。その公式見解に風穴を開けた点で、日本の防衛史上、画期的なことだった。

 ところが、内閣法制局などの専門家からは「きわめて限定的に認めただけで、憲法9条の解釈は、実はそれほど変わっていない」という声も聞かれる。どういう意味だろうか。9条の70年史をひもときながら、考えてみよう。

 まずは、条文から。

 第九条

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

 戦争放棄を定めた第1項は、これまではそれほど問題視されていない。「自衛戦争まで禁じたものではない」という意味に解釈されているからだ。1928年の「不戦条約」(当時の米仏の外相の名からケロッグ・ブリアン条約ともいう)にある「国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とする」という条文に沿ったのが9条1項で、不戦条約は「侵略戦争の禁止を意味したもので、自衛戦争は禁じていない」と国際社会ではみなされてきた経緯がある。いわば1項は平和国家として当然の規定ということもでき、戦後できたイタリア憲法なども1項とよく似た条文を持っている。

 問題は、第2項だ。「戦力を保持しない」というのは、ほぼ世界に例のない内容で、戦車や戦闘機を持つ自衛隊が違憲だと読まれかねない。だからこそ、9条の問題とは、ほぼイコールで2項の問題と考えられてきた。

  • 大村清一・元防衛庁長官(左から2人目。右隣は岸信介・元首相。1955年2月28日撮影)
    大村清一・元防衛庁長官(左から2人目。右隣は岸信介・元首相。1955年2月28日撮影)

 自衛隊を持つ日本の現実と、この2項の食い違いをどう説明するか、長年、政府は頭を悩ませてきた。

 警察予備隊、保安隊を経て自衛隊ができた54年に、政府が編み出した理屈が「平和憲法だって、自衛権まで否定しているわけではない。ならば、『必要最小限度』の実力部隊を設けることは、憲法違反とはいえない」というものだった。当時の大村清一防衛庁長官が国会で答弁した。この「必要最小限度」というところがキーワード(大村氏の最初の表現は「必要相当な範囲」だったが)で、この理屈は政府の9条解釈の屋台骨となり、今も生き続けている。

 だが、これで一件落着とはならなかった。なぜなら、「必要最小限度というが、それでは自衛隊は具体的には何ができ、何ができないのか?」という疑問がなお、未解決だったからだ。こうした疑問は日米安保条約に関する議論の中で問題となり、そこで政府が持ち出してきたのが、「集団的自衛権の行使は(必要最小限度を超えてしまうから)違憲」という基準だった。ここで集団的自衛権が登場する。

 自衛権には個別的自衛権、集団的自衛権の2種類がある。どちらも国連憲章が全加盟国に認めているれっきとした権利だが、個別的自衛権は自国が攻撃された場合に発動されるのに対し、集団的自衛権は、まだ自国への攻撃がない状態でも同盟国が攻撃を受ければ発動される。そこで、政府は「個別的自衛権なら必要最小限度のものがあるが、集団的自衛権となると、もはや必要最小限度とはいえない」とした。自国か他国かという、外形的に見分けやすい基準を「必要最小限度」といえるかどうかのリトマス試験紙の一つとした。個別的自衛権を認めるために、集団的自衛権を封印したといってもいいだろう。


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