社会

「赤ちゃんポスト10年」(2)一人でも救いたい

読売新聞西部本社 赤ちゃんポスト取材班
 こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)の設置を発表した熊本市の慈恵病院には、賛否両論が寄せられ、議論の場は国会にも広がった。病院から設置申請を受けた熊本市は、「一人でも救われる命があるのなら」と、許可に踏み切った。


病院の決断 賛否が殺到

 「赤ちゃんのために頑張って」「捨て子を認めるのか」

 2006年11月、こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)の開設方針を明らかにした慈恵病院(熊本市)には賛否の声が殺到し、3回線あった電話はふさがりっぱなしになった。

 育てられない子を匿名で「ポスト」に託せるという特異な計画。病院は電話回線を急きょ1本増やし、スタッフは応対に追われた。

  • 「こうのとりのゆりかご」の前でこれまでの歩みを語る慈恵病院の蓮田太二理事長(熊本市西区で)=大原一郎撮影
    「こうのとりのゆりかご」の前でこれまでの歩みを語る慈恵病院の蓮田太二理事長(熊本市西区で)=大原一郎撮影

 脅迫めいた抗議もあった。しかし、病院理事長の蓮田太二さん(81)は揺るがなかった。「なんと批判されようが、生まれてきた命を守る」

 蓮田さんは04年、市民団体の誘いでドイツの赤ちゃんポストを視察した。しかし、日本では幼い子どもの遺棄がそれほど多いとは感じておらず、視察後も「日本で必要なのだろうか」との思いが残っていた。

 だが、その後、熊本県内で乳児の遺棄事件が相次ぎ、意識が変わった。06年1月には、専門学校生が親にも妊娠を明かせずにトイレで出産し、子を死なせたとして逮捕された。妊娠に悩む女性とその子を守るため、開設を決断した。

 ただ、行政側との調整は難航した。06年12月、病院側は熊本市にゆりかご設置のための申請書を提出。施設の変更許可を求めるもので、通常は1、2週間で認められるような内容だった。

 だが、子どもを入れる行為は法に抵触しないのか。それが、大きなハードルだった。

 市の担当者として対応した末広正男さん(61)は、国に見解を問い合わせたが、返答は「国内法では想定されていない」とだけ。仕方なく、手元の六法全書を引いて、答えを探した。

 子の生命や身体を危険にさらす保護責任者遺棄罪や児童虐待にあたらないか、病院はそれらをほう助したことにならないか。10日ほどかけて拾い出した検討事項は、12法令などに関する25項目に上った。

 議論は永田町にも広がった。第1次政権の安倍首相は「匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいか、大変抵抗を感じる」と発言。柳沢厚生労働相は衆院本会議で「保護者が子どもを置き去りにする行為はあってはならないが、申請は医療法上の設備基準を満たしている。非常に悩ましい問題だ」と述べた。

 市と協議していた厚生労働省は07年2月、「医療法上の許可をしない合理的な理由はない」との見解を示した。ただ、ゆりかごそのものを認めたと誤解を与える恐れがあるとして、市側が求めた文書での回答は避けた。

 市は同年4月、申請から4か月後に許可を決断。最終的に、関係法令に違反しているとは言えず、子の安全も確保されているという結論だった。「冷静に客観的に判断しなければならないという意識とともに、一人でも救われる命があるのならという思いもあった」。当時、市長だった幸山政史さん(51)はそう振り返る。


「開設 後悔していない」

 運用は2007年5月に始まり、15年度までに125人が預けられた。

 「自分に障害もあり、孫と精神的に追い詰められた娘を支えられない」。孫を預けに来た初老の男性は蓮田さんに、そう吐露した。娘が出産直前に交際相手に裏切られ、育てられなくなったという。

 苦悩して預ける姿がある一方で、子を産む度にゆりかごを頼る母親もいる。いったん託した子を引き取り、親子心中してしまったケースもある。蓮田さんは「預けられた全ての子が幸せになっているわけではない」と苦渋の表情を浮かべるが、「ゆりかごがなければ、路上などに遺棄される子が出てしまう。開設を後悔したことはない」と言い切る。

 「ゆりかごは予期しない妊娠に直面した女性への『対症療法』でしかなく、根本的な解決策ではない」。行政側として向き合った末広さんは今もそう考える。

 市は病院への許可で「相談機能の強化」を求めた。事前に悩みを打ち明けることで、できるだけゆりかごを使わないでほしい。病院と行政に共通する願いは、全国でも先進的な相談業務につながった。


プロフィル
赤ちゃんポスト取材班
 読売新聞西部本社の入社5年目から15年目の記者3人が担当。約半年間かけて慈恵病院の関係者や、こうのとりのゆりかごに預けられた子どもの養親らから話を聞き、赤ちゃんポストの先進地・ドイツでも取材を行った。

【あわせて読みたい】
・「赤ちゃんポスト10年」(1)養親 共に悩み前へ
・「赤ちゃんポスト10年」(3)24時間 心に寄り添う
・「赤ちゃんポスト10年」(4)先進ドイツ 匿名を懸念
・「赤ちゃんポスト10年」(5)生みの親 捜し求め