文化

加藤一二三という生き方(中)折れない心

読売新聞メディア局編集部次長 田口栄一
 女優のマリリン・モンローが大リーガーのジョー・ディマジオと結婚。マグロ漁船「第五福竜丸」が太平洋のビキニ環礁で「死の灰」を浴びた。黒沢明監督の映画「七人の侍」公開もあった。1954年(昭和29年)に起きたこれらの出来事は、多くの人にとって遠い歴史の記憶に違いない。将棋の加藤一二三九段はこの年、14歳でプロデビューした。以来、63年という気の遠くなるような年月を盤上の勝負に費やしてきたのだ。加藤九段がこの道一筋の人生を歩むことができたのはなぜか。心の内をのぞいてみた。

千尋の谷からはい上がる

  • 加藤九段の「心の師」とも言うべき升田幸三九段。加藤九段が結果を出せず悩んでいる時も、様々なアドバイスを送り、加藤九段を支え続けた(1964年撮影)
    加藤九段の「心の師」とも言うべき升田幸三九段。加藤九段が結果を出せず悩んでいる時も、様々なアドバイスを送り、加藤九段を支え続けた(1964年撮影)

 14歳7か月でプロデビューを果たし、18歳で将棋界の最高クラスであるA級入り、20歳で名人戦の挑戦者となる。加藤九段の早熟ぶりは、将棋ファンならだれでも知っている。では、この後、どうなったのか。

 実は21歳でA級から陥落という屈辱を味わっているのだ。

 1960年、名人戦七番勝負で大山康晴名人(当時)に1勝4敗で敗れた。同じ年の6月にスタートしたA級順位戦は3勝6敗と振るわず、翌61年3月、1つ下のクラスであるB級1組への降級が決まった。

 「名人戦で負けたことは問題ではなかったのですが、その次のA級順位戦が間違いでした。私が挑戦者になった59年の時とA級は同じ顔ぶれだったので、同じような気持ちで戦えばいいと思っていたのです。はっきり言って楽観していました。極めてまずく、大いに反省すべき点です」

 加藤九段はそこで奮起。B級1組で8勝2敗の好成績を挙げ、わずか1年でA級復帰を果たした。復帰が決まった時、升田幸三九段からこう言われた。

 「加藤君、あんたはえらい。ライオンは自分の子を千尋(せんじん)の谷に突き落とし、はい上がってきた子だけを育てるというが、あんたは大きく傷ついたまま、はい上がってきた。普通の人間なら、傷が治ってからやおら立ち上がり、A級に帰ってくるところだ」

 升田九段から立ち直りの早さをほめられたが、この時代、大山名人の壁は厚かった。特に63年夏の王位戦7番勝負では、途中2勝1敗とリードしながら、そこから星を伸ばすことができなかった。大山名人はシリーズの流れが悪いと見るや、がらりと作戦を変えてきたからだ。王将戦など他のタイトル戦でも大山名人には勝てなかった。

 「このままでは展望は開けない」。大山名人の懐の深さを見るにつけ、加藤九段は自分の内面を見つめ直すようになった。

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