社会

2020年の日本、100年前にここまで見通した男

読売新聞メディア局編集部 河合良昭

開業医だった敷津

  • 敷津林傑(米友協会会史から 横須賀市自然・人文博物館提供)
    敷津林傑(米友協会会史から 横須賀市自然・人文博物館提供)

 敷津が予想をつづった「日本及日本人」には、その肩書までは掲載されていなかった。筆者が名前を手がかりに資料を探したところ、渋沢栄一記念財団(東京都北区)の「渋沢栄一伝記資料」に名前の記載があることがわかり、そこから「米友協会」という組織の会員であったことがわかった。

 当時、アメリカに留学や滞在した経験を持ち、その後に政財界などで活躍した人が集まり、交流を深めた団体だ。横須賀市にあるペリー上陸記念碑の建立に尽力するなどの足跡を残している。

 その一員であったという事実から、アメリカで見聞を広め、国際的な視野を持っていた人物であったことがうかがえる。

  • ペリー上陸記念碑(横須賀市久里浜)
    ペリー上陸記念碑(横須賀市久里浜)

 職業が医師であったこともわかった。「経済時報」という雑誌に移民に関する論文を寄せており、その時の肩書から判明した。同じ雑誌に「敷津医院」という「生殖器病及び外来専門」の広告が掲載されていた。当時の紳士録などから、医院は敷津が開業したもので、場所が東京都千代田区富士見、現在のKADOKAWAの本社の近くであったこともわかった。

 その近隣に住んでいる人や、日本泌尿器科学会などに取材したが、それ以上のことはわからなかった。また、「敷津」という珍しい姓が大分県玖珠(くす)町に数軒あることを知り、同町の教育委員会を通じて調べてもらったが、林傑や子孫について知る人はいなかった。

 敷津の自宅兼医院の周辺は、東京大空襲の被害を受けていた。空襲犠牲者に関する記録にも当たったが、情報は得られなかった。

 この時だけは、気落ちするというより、少々ホッとする思いだった。

 100年先の日本社会を見通した敷津の知見に、日米友好活動などを通じて得たアメリカの社会や産業、科学技術などの情報が役立ったであろうことは想像に難くない。その敷津が、アメリカによる空襲に巻き込まれたとは考えたくなかった。

 敷津を追いかける取材は、今後も続けていく。

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プロフィル
河合 良昭(かわい・よしあき)
 読売新聞メディア局編集部記者。2001年入社。日光支局、成田支局で事件や市政を取材。中部支社(名古屋)と甲府支局でデスクを務め、東京本社地方部を経て、現職。

2018年1月9日15:00 Copyright © The Yomiuri Shimbun