文化

今年こそ『源氏物語』…あなたが選ぶ現代語訳は?

東京学芸大学教授 河添房江

気負いのない文体の角田源氏

  • 『源氏物語』の現代語訳(上巻)を刊行した角田光代さん(c)KIKUKO USUYAMA
    『源氏物語』の現代語訳(上巻)を刊行した角田光代さん(c)KIKUKO USUYAMA

 そして最も新しい現代語訳が、昨年9月に上巻が出た角田光代『源氏物語』である。角田訳では原文に主語を補い、敬語を省略して読みやすくしているし、大事な言葉には注釈のような説明を補う親切さもある。だが、それはこれまでの現代語訳でも試みられてきたことで、角田源氏の際立った特徴というわけでもない。

 特徴をあげるとすれば、むしろ「である」調で訳された気負いのない淡々とした文体だろう。桐壺(きりつぼ)巻で帝が桐壺更衣(きりつぼのこうい)の死を知った場面を例に、解説してみたい。原文は以下のようになっている。

 御胸のみつとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。聞こしめす御心まどひ、何ごとも思しめしわかれず、籠りおはします。(『新編日本古典文学全集 源氏物語(1)』小学館より)

 帝は実家に帰った桐壺更衣のことが心配で夜も眠れない。そこへ使者が戻ってきて桐壺更衣が亡くなったことを知らせる。自分が深く愛した女性の死に帝はひどく取り乱してしまう、といった内容である。

 帝が主語となっているので、原文は二重敬語(敬語の部分は太字で示した)が多く使われている。比較のために、瀬戸内寂聴訳でどうなっているのかを見てみよう。

 帝はその夜は淋しさと不安でお心がふさがり、まんじりともなさらず、夜を明かしかねていらっしゃいました。
 お里へお見舞いにやられたお使いが、まだ帰ってくる時刻でもないのに、気がかりでたまらないと、しきりに話していらっしゃいました。
 更衣のお里では、
「夜なかすぎに、とうとうお亡くなりになりました」
 と、人々が泣き騒いでいるのを聞き、勅使もがっかり気落ちして、宮中へもどってまいりました。
 それをお聞きになった帝は、御悲嘆のあまり茫然自失なさり、お部屋に引き寵っておしまいになります。

 敬語を丁寧に訳出していくと、現代の読者には少しくどいように感じられるのではないだろうか。この部分、角田訳は非常にシンプルである。

 深い悲しみに沈み、帝は眠ることもできず、夏の短い夜に目をこらす。女の実家に遣わせた使者
 がまだ戻らないうちから、帝は不安な気持ちをしきりにつぶやいていた。
 その頃、女はすでに息絶えていた。お付きの人々が泣き騒ぐ女の実家から、気落ちして戻ってきた使者は、
 「夜中を過ぎる頃、とうとう息をお引き取りになりました」と伝えた。それを聞いて帝はひどく取り乱し、もう何も考えることができず、部屋に閉じこもってしまう。

 角田源氏の一番の魅力は、『源氏物語』を現代小説のように違和感なく、さらりと読めるところにある。

 もっとも、原作で語り手が直接読み手に語りかけたり、感想や批判を述べたりしているところ(専門用語で「草子地(そうしじ)」という)だけは「ですます調」となっていて、現代の語り手である角田が感情移入しているかのようである。

巻名に添えられた言葉に深い意味

 さらに私が感心したのは、巻の扉のページである。そこには巻名があり、その下に短いキャッチコピーのような言葉が書かれている。例えば若紫巻ならば、「若紫 運命の出会い、運命の密会」といった具合だ。このキャッチコピーに私はしびれてしまう。「運命の出会い」とは、いうまでもなく後に紫の上とよばれる少女に、光源氏が北山で出会ったということである。「運命の密会」とは、少女の叔母であり光源氏が永遠の思慕を寄せる藤壺との密会が成立したことを意味する。この短い文字の重ね方に、角田源氏はなんと重い物語の内容を込めていることか。

 同様に感心したのは、「夕顔 人の思いが人を殺める」。つまり、夕顔巻は六条御息所という人が、物の怪となって夕顔という人をとり殺す巻というのである。「葵 いのちが生まれ、いのちが消える」も好きな要約で、夕霧という源氏の長男の命が生まれ、母の葵の上が六条御息所の生霊により命を落とすことを表現している。

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2018年1月11日10:19 Copyright © The Yomiuri Shimbun