文化

今年こそ『源氏物語』…あなたが選ぶ現代語訳は?

東京学芸大学教授 河添房江

男性的な与謝野源氏、関西の女語り意識した谷崎源氏

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 それでは他の現代語訳の特徴はどのようなところにあるのか。まず明治から大正にかけての与謝野晶子『新訳源氏物語』(金尾文淵堂、1912―13年)はダイジェスト訳だが、晶子晩年の『新新訳源氏物語』(同、38―39年)は全訳である。

 夕顔巻の一節の現代語訳を比較(図表参照)してみた。与謝野源氏はいずれも口語体で、主語を入れ、敬語を省いた短文で書かれている。男性的で歯切れが良く、入門編としてふさわしい。晶子が狙ったのは、『源氏物語』の精神は生かしつつも、古風な女語りの文体から距離を置き、近代小説として再生させるところにあった。

 なお『新新訳』は戦後、河出書房の日本文学全集に加えられて大ヒットし、谷崎源氏と並んで現代語訳の双璧と言われた。現在は角川文庫のほかにネットでも見ることができ、無料で読めるのも魅力である。

 谷崎潤一郎の三つの現代語訳は、原文の敬語を生かして丁寧語を多用し、継ぎ目のない長文で主語も入らず、初心者にはやや難しい。しかし、読解力のある読者にとっては、魅力ある訳である。関西の女語りを意識した、流麗な雅文体の訳で、谷崎にとっての理想の日本語の文体を追求したともいえる。

 戦前の『潤一郎訳源氏物語』(中央公論社、39―41年)では時節柄、天皇家の不敬に当たる部分を3か所削除した。戦後の『潤一郎新訳源氏物語』(同、51―53年)はそれを正し、その後の『潤一郎新々訳源氏物語』(同、64―65年)は、旧仮名や旧漢字を読みやすく改めたものである。

格調高い円地源氏、創作が加えられた田辺源氏

 円地文子『源氏物語』(新潮社、72―73年)は、男性的なしっかりした文体で、主語を加え、注釈的な部分を文中に織り込んで、わかりやすく仕立ててある。その文体は格調が高く、文学的な香気が感じられる。また女流作家の訳らしく、車争いや生霊事件での六条御息所の心理分析など、内面の読み取り方は鋭く深い。

 田辺聖子『新源氏物語』(同、78―79年)は、もともと『週刊朝日』に連載されたもので、男性にもわかりやすい物語を目指し、原典に大幅なリライトが加えられている。会話を多用した一種の現代小説のようで、大和和紀の源氏漫画『あさきゆめみし』にも影響を与えた。巻名も「眠られぬ夏の夜の空蝉の巻」から「夢にも通えまぼろしの面影の巻」まで、巻の内容を要約しつつ洒落(しゃれ)ている。

光源氏を近代的に描いた橋本治、人生観重ねた瀬戸内寂聴

 橋本治『窯変 源氏物語』(中央公論社、91―93年)も忠実な訳というより、一種の翻案小説である。光源氏はナルシシスト、かつニヒリストとして描かれ、女性に対しても思いやりに欠け、その近代的な男主人公の視点から物語は紡ぎ出されていく。文体は「私は」という主語を多く使い、敬語を省略した英文翻訳体で、自然をはじめ描写は細緻である。華麗なる書き言葉を駆使して、『源氏物語』を日本の古典というより世界文学として押し出そうとする意識が強い。

 瀬戸内寂聴『源氏物語』(講談社、96―98年)は、ですます調の語り口調で、中学生でも読める平易な日本語で訳されている。各巻の最後には「源氏のしおり」という解説が付き、書かれていない紫式部の本音がわかる仕掛けで、出家した瀬戸内の人生観も重ねられている。刊行された頃は講演会や朗読会など、メディア・ミックスによる宣伝効果もあり、かつてないヒットを飛ばした。文庫化でさらに読者の裾野を広げ、若年層の古典離れを防ぐだけでなく、団塊世代の古典回帰も助けている。

リズム重視の大塚ひかり、熟語を多用した林望

 その後、2008年は源氏物語千年紀の年として騒がれたが、前後して刊行されたのが『大塚ひかり全訳 源氏物語』(ちくま文庫、08―10年)と、林望『謹訳 源氏物語』(祥伝社、10―13年)である。大塚は『「源氏物語」の身体測定』『カラダで感じる源氏物語』など、身体から読み解く源氏エッセイの著者として知られる。

 『全訳』はわかりやすい逐語訳で、「ひかりナビ」と称する注釈の説明文を付けている。訳文を自分で音読し、原文のリズムを損なわないよう心がけたともいう。

 一方『謹訳』は、出版社のうたい文句が「品のある日本語ですらすら読める」である。しかし、実際の文章は近世書誌学者の林らしく、漢字の熟語を多用する教養主義の訳文で、すらすら読めるのはそれなりに教養のある読者だろう。また注釈をすべて現代語訳に入れているため、原文一つ一つがかなりの長文で訳されている。

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2018年1月11日10:19 Copyright © The Yomiuri Shimbun