文化

大相撲「土俵は女人禁制」…歴史が教える意外なワケ

読売新聞編集委員、BS日テレ「深層ニュース」キャスター 丸山淳一
 「女性蔑視の象徴だ」「いや、伝統的な神事のしきたりでは」――。春の巡業中に起きたアクシデントをきっかけに、土俵を女人禁制とする相撲界のルールをめぐって議論が巻き起こった。そもそも、なぜ女性を土俵から遠ざけてきたのか。歴史をひもとくと、今では思いもつかぬ事情が浮かび上がってきた。

板垣退助が推進した「明治の相撲改革」

  • 大相撲「土俵の女人禁制」の再検討を表明した日本相撲協会の八角理事長
    大相撲「土俵の女人禁制」の再検討を表明した日本相撲協会の八角理事長

 日本相撲協会が土俵の「女人禁制(きんぜい)」について、八角理事長の名前で談話を出し、女性を土俵に上げない伝統のあり方を再検討する考えを示した。

 京都府舞鶴市で行われた春巡業の土俵上で市長が倒れ、とっさに救命措置をした女性に対して、行司が「土俵から下りてください」と場内アナウンスを繰り返した“事件”がきっかけだ。協会がこの対応を「不適切だった」と謝罪したのは当然だが、話はそれでは終わらずに、土俵の女人禁制を今後も守るべきかどうかにまで波及した。

 私がキャスターを務める「深層NEWS」でもこの問題を取り上げ、出演した大相撲取材歴47年の銅谷志朗さん(東京相撲記者クラブ会友)は「時代とともに変えるべきものは変えていくべき」とする一方で、「今回の“事件”とは切り離し、時間をかけて検討すべき」と強調した。協会も「時間が欲しい」という。江戸の大相撲以来の伝統見直しだから、簡単に結論を出せない事情は理解できる。

 だが、大相撲には伝統を臨機応変に取捨選択してきたという「改革の伝統」もある。相撲が日本の国技となった「明治の大相撲改革」のいきさつがその典型だろう。この改革には、明治維新の立役者のひとり、板垣退助(1837~1919)が深く関与していた。

 板垣が生まれた土佐(高知県)は昔から相撲が盛んで、板垣も子どものころから相撲が大好きだった。土佐の板垣の邸宅にはたくさんの力士が集まり、さながら相撲部屋のようだったという。

 だが、意外なことに、江戸時代に神社などで行われていた興行としての江戸大相撲(勧進相撲)に土佐出身の幕内力士は1人もいない。土佐藩が強い力士を囲い込んで江戸に出さなかったためらしい。土佐出身の力士が東京で活躍するのは、板垣邸のけいこ場で鍛え、大坂相撲から東京に進出した海山太郎(かいざんたろう)(1854~1926)から。東京での最高位は前頭筆頭止まりだったが、むしろ、年寄友綱(貞太郎)となってから後進の育成や東京大角力協会(現在の日本相撲協会)の大幹部(取締)として活躍し、今の二所ノ関一門の源流となる。板垣も友綱の後ろ盾として協会の運営に関わっていく。土佐勢が協会内で急速に発言力を強めたのは、板垣の政治力に加え、過去のしがらみがない新興勢力の土佐勢と板垣に、低迷から抜け出す改革を期待したからではないか。

2018年5月20日07:00 Copyright © The Yomiuri Shimbun