文化

没後70年、作家・太宰治を生んだ「三つの空白期」

読売新聞編集委員 鵜飼哲夫

誰の中にも潜む「ずるさと愚かさ」描いた太宰

 だが、思いはかなわなかった。それどころか、中毒が高じて、師の井伏鱒二や同居していた初代の願いで、精神科病院に入院させられる。後にいう「人間失格」体験である。苦しみはそれで終わらなかった。入院中、同居していた初代が、弟のようにかわいがっていた親類の画学生と悲しい過ちを犯していたことがわかったのだ。

 かつて銀座のカフェの女性と心中を図り、さんざん迷惑をかけた自分である。人を責める資格がないのはわかっている。それでも、自分の感覚が、初代を許せなかった。

 太宰、第3の空白時期は、傑作意識に取りつかれて、生活をないがしろにし、生活をともにした女性を捨てた自分という存在、自分の中に巣食う虚栄心と、どこまでも向き合う時間だった。

 そうして空白の果てに生まれた小説「姥捨(うばすて)」で太宰は、「単純になろう。単純になろう」と繰り返したうえで、「あたりまえに生きるのだ。生きてゆくには、それよりほかに仕方がない。おれは、天才でない。気ちがいじゃない」と宣言している。

 その頃に書いた随想「一日の労苦」では、「無性格、よし。卑屈、結構。女性的、そうか。復讐(ふくしゅう)心、よし。お調子もの、またよし。怠惰よし。変人、よし」と書いている。

  • 「桜桃忌」に、多くの花が供えられた太宰の墓に手を合わせるファンら(東京・三鷹市の禅林寺で、2017年6月19日撮影)
    「桜桃忌」に、多くの花が供えられた太宰の墓に手を合わせるファンら(東京・三鷹市の禅林寺で、2017年6月19日撮影)

 太宰の三つの空白は、さまざまな挫折と別れを経て、太宰が、自らの弱さ、駄目さととことん向き合うための時間だった。太宰の弱さは、人間の弱さである。そのずるさ、駄目さは、人間であれば誰の心の中にも潜むものである。太宰の小説を読み、自分のことが書かれているかのように思う若者が多いのは、人一倍とことん悩み、苦しんできた太宰が、自らを含めた人間の弱さ、愚かさを否定するのではなく、ユーモラスに描いたからだろう。

 1939年(同14年)に、29歳で石原美知子と結婚してからの太宰は、「富嶽百景」「女生徒」「走れメロス」「津軽」「お伽草紙」など、戦時下の暗い世相に抗するかのように、人間の滑稽と悲惨を明るく描く作品を量産した。その時期の太宰は「懶惰(らんだ)歌留多(かるた)」という作品の中で、遺作とはまったく違う文脈で「人間失格」という言葉を使っている。

 〈苦しさだの、高邁(こうまい)だの、純潔だの、素直だの、もうそんなこと聞きたくない。書け。落語でも、一口(ばなし)でもいい。書かないのは、例外なく怠惰である。おろかな、おろかな、盲信である。人は、自分以上の仕事もできないし、自分以下の仕事もできない。働かないものには、権利がない。人間失格、あたりまえのことである。〉

 太宰を愛読した作家・司馬遼太郎は〈太宰文学は破滅型で、『人間失格』が太宰の人生だというのは、先入観です〉と、1987年(同62年)の講演「東北の巨人たち」で語っている。「人間失格」だけではない、明るく、前向きな太宰治もいたのである。それを誕生させたのは、太宰治の「三つの空白」であった。

プロフィル
鵜飼 哲夫( うかい・てつお
 読売新聞編集委員。文化部で文芸担当を四半世紀、読書面デスクなどを経て現職。三度の飯より本が好きで、夕刊読書面にコラム「ほんの散策」を月に1回連載している。著書に『芥川賞の謎を解く 全選評完全読破』(文春新書)、今年5月に出した新刊に『三つの空白 太宰治の誕生』(白水社)。



2018年6月11日05:20 Copyright © The Yomiuri Shimbun