戦力分析

【箱根駅伝出場21チーム紹介〈8〉】「宇宙人」と酷評された国学院大・向主将が下克上の走り見せる

  • コース地図の2区の部分を指さす国学院大・向主将(カメラ・大和田 佳世)(スポーツ報知)
    コース地図の2区の部分を指さす国学院大・向主将(カメラ・大和田 佳世)(スポーツ報知)
  • 国学院大チャート(スポーツ報知)
    国学院大チャート(スポーツ報知)

 ◆国学院大 前回16位(2年連続11回目)=出雲不出場、全日本11位=

 向晃平主将(4年)が最初で最後の箱根路に臨む。1年春から故障続きで、過去3回は出場できなかった。自ら出場回避を決めた前回大会後、責任感が芽生え立候補して主将に就任。「宇宙人」と呼ばれた上半身がブレるフォームを見直し、1万メートル28分台を2度記録した。チームスローガンの「下克上」を体現する走りで、6年ぶりのシード権獲得へ導く。

 向がやっと箱根のスタートラインに立つ。「今は充実している」と話す表情は明るい。1年春から両足アキレス腱(けん)痛に始まり、疲労骨折、股関節痛などあらゆる故障を経験した。左足中足骨骨折から復帰を目指していた前回は、エントリー発表前日の12月9日、自ら前田康弘監督(39)に「他の選手を差し置いて入れない」と申し出た。

 16位に沈んだレース後、指揮官に「来年度はお前が主将をやるくらいじゃなきゃダメなんだよ」と言われた言葉が心に突き刺さった。「自分は走るべき立場だった。最後の1年はチームのためにやりたい」。けがと向き合うばかりで周囲が見えていないことに気付かされた。学生ミーティングで主将に立候補し、約半数の反対を押し切った。

 走る面でも故障防止のため理学療法士の意見を仰ぎ、体幹が弱く「宇宙人みたい」と酷評された上半身がブレるフォームを改善した。体重が増えない体を補う栄養学も勉強。すると5000メートル、1万メートルともに自己ベストを更新。夏合宿は無理をしないことで乗り切り「継続は力なり」を初めて実感できた。

 前回は9区で給水を担当した。シード争いにも絡めない苦しい展開でも、国沢が諦めずに前を追っていた。「来年を見ているんだな」と勇気をもらった同期と、ようやく共に戦える時がきた。苦しんだ3年分の思いをぶつけるように、各校のエースが集う2区を希望する。シード権への足がかりを作り「大好きなんです」というチームメートと大手町で喜びを分かち合う。(大和田 佳世)

 ◆向 晃平(むかい・こうへい)1996年1月30日、長崎市生まれ。21歳。小学2年から中3まではサッカーのクラブチームに所属してFW。好きな選手はリバプールのブラジル代表MFコウチーニョ。中3の秋から駅伝部で走り始め、鎮西学院3年時に都道府県駅伝に出場した。163センチ、47キロ。家族は両親と妹。

◆戦力分析

 心強い戦力が帰ってくる。前回8区区間6位の熊耳(くまがみ)は9月に右大腿(たい)骨を疲労骨折し予選会、全日本を欠場。箱根には間に合う見込みで、前田監督も「戦力的にも、精神的な面でも大きい」と話す。

 6位で通過した予選会でチームトップだった浦野は11月に左アキレス腱を痛め、7~8割の状態で臨んだ12月の記録会で28分51秒91の自己ベストをマークした。同級生の青木、土方と競い合いながら順調に成長しており、区間8位と好走した全日本同様に1区起用が濃厚。「集団で走りながら、いろんな展開を想定してイメージするのが好き。スピードも生かせると思う」。2区で待つ向に良い位置でタスキを渡せれば、12年以来6年ぶりのシード権獲得への流れが出来そうだ。

 ◆国学院大 大学創立は1882年だが、陸上部創部の明確な記録はなく、1928年の関東インカレ成績が残っている。箱根駅伝は2001年に初出場。総合の最高成績は11、12年の10位。往路最高6位、復路最高11位。出雲駅伝は12年の10位、全日本大学駅伝は今季の11位が最高。男子長距離部員は52人。タスキの色は赤紫に黒の縁取り。主な陸上部OBは荻野皓平(富士通)、蜂須賀源(コニカミノルタ)ら。

(スポーツ報知)

2017年12月17日12:00 Copyright © The Yomiuri Shimbun