マナビレンジャー合格への道

女子校の思い出 光と影…辛酸なめ子<1>

  • 女子学院中の入学式。前列中央の顔色が悪い女子が私です
    女子学院中の入学式。前列中央の顔色が悪い女子が私です

 女子校の人気にかげりが出ている……。そんな話を耳にして、何とかしなければという思いに駆られています。この原稿では何回か、女子校の魅力について(つづ)っていければと思います。まずは私の昔話になってしまいますが、お付き合いいただけましたら幸いです。

 女子校を志したのは自然な流れでした。当時、埼玉の小学校に通っていたのですが、2回も転校したこともあって、運動が決定的にできない私は、時々いじめられることがありました。「こんな、体力で決まる弱肉強食の世界から早く抜け出したい……」という思いから、女子校出身(白百合学園)の母の影響もあって、中学受験をする流れになりました。

 まずは、四谷大塚に入るための塾に何か月か通い、無事に会員になることができました。それからは週1回だけ四谷大塚の模試に通い(経済的にそんなに余裕がなかったので)、あとは家で地道に勉強。

 四谷大塚ではそれなりにエンジョイしていて、後年四谷大塚の手帳を見たら、チューターの男子大学生に連絡先を聞きまくっていて、彼らに書いてもらった名前や誕生日、チャームポイントなどのリストが並んでいました。これから女子校で男子のいない世界に行くので、それまでに青春を体験したかったのかもしれません。

 そんな半端な学習態度で合格できたのは、太宰府天満宮の鉛筆と、母が願掛けして長期間電車の座席に座らないで合格を念じてくれたおかげだと思っています。

女子校で感じた格差

 そして入学した、女子学院中学。校則は四つしかないというのが特徴で、JGバッジを付ける、指定の運動靴を上履きとする、登校後の外出は禁止、校外活動は届ける、といったものでした。自由な校風で上履きがなぜ指定されていたのかは謎ですが、登校後の外出が禁止になったのは以前、学校を抜け出して交通事故に遭った先輩がいた、という話がまことしやかにささやかれていました。しかし、こんな四つしかない校則も、結局私は破ってしまうのですが……。

 入学した当初は緊張していて、おとなしく過ごしていました。埼玉から通っているのはクラスに1人くらいで、ほとんどは都内から通学。自分以外はみんな洗練されているように見えて、気後れしていました。

 最初に知り合った後ろの席の子が、お父さんが社長でお手伝いさんがいる、と話していたのもカルチャーショックでした。なぜ勉強ができるだけでなく、裕福で、おしゃれで、運動も美術も音楽もなんでもできる子がいるのか……。入学してほどなくして、私はこの世は不公平であることを知りました。

 合格して調子に乗りかけていた気持ちが、急速に収縮してゆきました。それくらいみんなオールマイティーで、よく見たら顔もかわいくて、全てを兼ね備えていたのです。例えば最近、JG同級生だった馬場典子アナが、バラエティー番組で絵がうまいと称賛されていますが、あんな感じで普通に何でもできる子がいっぱいいたのです。中学生時代に挫折を味わったことは、大きな学びだったかもしれません。

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