学校 モノ・風景

新しい世界が開けた…教科書

読売新聞教育部 山田睦子

 「小学校(国民学校)4年で終戦を迎えると、先生に言われて墨で教科書を塗りつぶしました」。兵庫県三田市の立山恵子さとこさん(81)が今も記憶に鮮明な出来事を手紙に書いてくれた。

 立山さんは1942年、長崎県の国民学校に入学。最初に手にした「ヨミカタ」の教科書は「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」で始まった。色刷りがきれいで、ワクワクしたという。

 しかし、戦後は一転。担任の先生の指示で軍国主義的なページを墨で塗り、さらに翌年支給された教科書は、新聞紙大の紙に何ページ分もの内容が印刷されたものだった。家でページごとに切り離してとじ、冊子に作り替えた。「紙質も悪く散々でした。二度とあの時代がないことを祈ります」とつづった。

 日本で学制が敷かれたのは1872年(明治5年)。自由に出版された教科書、国の検定教科書の時代を経て、1904年から50年頃までは国が内容を決める国定教科書が使われた。

 近代の日本の教科書に詳しい樹下きのした龍児さん(77)によると、明治時代、教科書は大人も知らない先進的な世界を子どもに伝えるものだった。

 それまで、多くの人々は地球が丸いことや地動説を知らず、黄色人種以外の人種も知られていなかった。「ラジオやテレビもなく、日刊新聞も普及していない明治初期、すごい勢いで流入した欧米の新しい知識を庶民に伝えたのが教科書だった。子供が学校で教わってくる内容に大人はびっくりしただろう」

 戦後、教科書は国の検定を受けて、民間会社が発行する制度に変わった。長らく小ぶりなA5判が中心だったが、近年はカラー写真が多用されるようになり、B5判が主流になるなど大型化。ページ数も増加した。

 「最近の教科書は、新聞記事やインターネットの内容など新しい時代に対応した教材が増えると同時に、昔から読み継がれている物語も載っている。未来を生きる子どもたちに身につけてほしい知識や知恵が詰まっている」。東京都小学校国語研究会の会長で、杉並区立高井戸小学校の鶴巻景子校長(59)はそう感じている。(山田睦子)

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