スクールデイズ

自作の詩 載せたビラ配り…和合亮一さん

聞き手・堀内佑二

詩人

  • 和合亮一さん(岩佐譲撮影)
    和合亮一さん(岩佐譲撮影)

 ぜんそく持ちで体が弱く、小学校は休みがちでした。野菜が苦手で、給食も食べられない。5年生で福島市から同じ福島県の郡山市に転校して、もっと明るく、存在感のある人間になろうと思いました。

 あるときは鼓笛隊のパレードに参加し、とにかく目立ちたくて、友達と笛でチャンバラをしました。すると折れた笛が飛んでいき、建物の窓ガラスに当たって割れてしまい……。すごく怒られました。自分を必要以上に大きく見せようとしていたんですね。

 福島高校2年の文化祭で、自分が音頭を取り、教室の半分ほどもある段ボール製の銀閣寺を皆で作りました。これを機に、単に目立ちたがるのではなく、意義あるものを作ることに自分の力を向けられるようになったと感じます。

 国語の成績は良かったので、福島大教育学部に入り、国語教師を目指しました。詩を書く楽しさを知ったのは、現代詩のゼミがきっかけです。

 大学3年のとき、作家の井上光晴さんが開いていた市民向けの文学講座に参加しました。2日間の講座でしたが、迫力に心をわしづかみにされ、ものを書く人間になろうと本気で思いました。「書いて書いて、自分を作っていくんだ。そのために文学はある」。井上先生にかけられた言葉は、今も自分の中にあります。

 アルバイトでお金をためてワープロを買い、自作の詩を毎朝、大学の近くで学生にビラのように配りました。教室に行くと、それがたくさん捨てられている。悔しくて、いつかは捨てられない詩を書いてやろうと思いました。

 東日本大震災直後の追い詰められた状況の中で、3か月間、毎晩ツイッターに「詩のつぶて」を書き続けたのも、同じ悔しい気持ちからです。自分の原点は、誰かに読んでもらいたい一心で詩を手渡していたあの「ビラ配り」だったんだと、改めて気付きました。

 40代後半になって、昔の恩師や仲間たちの言葉が、水の底に沈んだものが浮かび上がってくるように、心に浮かびます。高校の生徒たちにも、自分なりの言葉を伝えていければと思っています。

プロフィル
わごう・りょういち
 1968年、福島県生まれ。99年に詩集「AFTER」で中原中也賞を受賞。2011年の東日本大震災直後、ツイッターに投稿した詩をまとめた「詩の つぶて 」が反響を呼んだ。同詩集の仏語訳で今年7月、フランスのニュンク・レビュー・ポエトリー賞を受賞。福島県立本宮高の国語教諭でもある。

 (2017年8月24日付読売新聞朝刊掲載)