スクールデイズ

練習は苦手な種目から…米田功さん

聞き手・小田倉陽平

アテネ五輪体操団体 金メダリスト

  • 米田功さん(米田育広撮影)
    米田功さん(米田育広撮影)

 父の仕事の関係でドイツで生まれ、堺市で育ちました。体が小さくぜんそく持ちで、母が「学校でいじめられる」と心配し、小学1年で大阪市の体操クラブに入れてくれました。もっとうまくなりたいと思い、2年後に市内にあった名門の「マック体操クラブ」に移りました。

 その後は体操漬けでした。放課後はクラブで4時間ほど練習し、母が運転する帰りの車内で夕飯を食べました。土日も練習です。コーチは厳しくて、クラブの雰囲気はいつもピリピリしていました。体操が楽しい、と感じたことはありません。でも、大会で優勝するなど結果が出るのはうれしかったです。

 おとなしい性格でしたが、小学校では体育の授業で体操の手本を見せたり、友人から「バック転見せて」と頼まれたりして、クラスの中心にいました。1988年のソウル五輪では、同じ体操クラブ出身の池谷幸雄さん、西川大輔さんらがメダルを獲得し、「自分も将来こうなるのかな」と、漠然と五輪を意識するようになりました。

 強豪の清風中学、高校(大阪市)に進学し、中学2年の全国大会で初優勝しました。高校生になると練習拠点がクラブから学校に移りましたが、先生に反発して練習をさぼり、遊んでいたこともあります。今思えば、反抗期でした。

 大学では体操を楽しもうと、自由なイメージがあった順天堂大に入りました。つり輪が苦手でしたが、「試合では成功する」と自分に言い訳して、つり輪の練習から逃げていました。そんなとき、大阪代表として国体に出場します。少年時代に通った「マック」のコーチが監督を務めていて、「練習は苦手な種目から始めろ」と言われました。練習を重ねて苦手なことができるようになる、という体操の楽しさを改めて知りました。

 卒業後、本気で五輪を目指し、2004年のアテネ五輪で金メダルを手にできました。今は20年の東京五輪に向け、監督として選手を育てています。子供の頃、厳しい練習を乗り越えたことが、今の自分の糧になっています。

プロフィル
よねだ・いさお
 1977年生まれ。順天堂大卒。2004年アテネ五輪では男子体操の主将として28年ぶりの団体金メダルを獲得、種目別鉄棒でも銅メダルに輝く。08年現役引退。現在は横浜市で子供向けの「米田功体操クラブ」を開いているほか、「徳洲会体操クラブ」(神奈川県鎌倉市)監督も務める。

(2018年5月10日付読売新聞朝刊掲載)