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冬のオリンピックこぼれ話

三度目の正直【2011年 平昌】

 1924年(大正13年)の第1回大会以来、今回の韓国・ 平昌 ( ピョンチャン ) で23回目を迎える冬季オリンピック。雪と氷の祭典の長い歴史には、笑いや涙を誘うエピソードもたくさん詰まっています。読売新聞の過去の記事を振り返り、異色の選手、思わぬ結末、式典の舞台裏など、観戦の楽しみが増す「こぼれ話」を拾い上げ紹介します。

 1972年札幌、98年長野に続き、アジアで3回目の冬季五輪の舞台となる平昌。開催都市として選出されるまでに2度の悪夢を味わいました。

 2010年大会と14年大会の招致争いでは、いずれも第1回投票でトップに立ちながら決選投票で逆転負けしたのです。2003年の最初の挑戦でバンクーバー(カナダ)に逆転された時は3票差。当時のカナダ首相が「まるで写真判定」と評したほどの惜敗でした。

 2007年に再度挑戦しますが、ソチ(ロシア)にまたもやわずか4票差で敗れてしまいます。当時、韓国メディアが「平昌最有力」と報じていたため、ショックは一層激しかったようです。平昌の子供たちが泣きじゃくる写真を読売新聞は掲載し、地元の落胆ぶりを伝えました。

キム・ヨナさんが招致大使に

  • 2018年冬季五輪の開催地決定に喜びを爆発させる若者(2011年7月7日、韓国・平昌で)
    2018年冬季五輪の開催地決定に喜びを爆発させる若者(2011年7月7日、韓国・平昌で)

 韓国は連敗にめげず粘り強い誘致活動を継続し、ついに「三度目の正直」を果たします。

 2011年7月に南アフリカで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、ミュンヘン(ドイツ)などのライバルを相手に、今度は第1回投票で計95票の半数をはるかに上回る63票で圧勝。鬼門の決選投票は不要となり逆転の余地を与えませんでした。女子フィギュア五輪金メダリストの(キム)妍児(ヨナ)選手も招致大使として、試合への出場を控えてまで誘致活動に力を入れ、そのブランド力と貫禄を十二分に発揮、韓国国民の夢をかなえました。

 開催決定に韓国国内は歓喜に包まれました。約300キロメートル離れた浦項(ポハン)市から、2週間歩いて開催地発表の当日に平昌入りした大学生が「誘致成功を祈って歩いてきたかいがあった」と興奮気味に語った様子を、当日の読売新聞は伝えています。

朝鮮戦争の激戦地

 ちなみに、記事データベースで昭和の読売新聞に載った「平昌」を調べると、「国連軍、平昌に進出」など1950年代初めの朝鮮戦争当時の記事がいくつも見つかります。現在の平昌はリゾート地ですが、かつては朝鮮戦争の激戦地でした。平昌のある韓国北東部の江原道(カンウォンド)は域内を軍事境界線が走っており、南北に分断されているのです。

 ところで日本も、2026年冬季五輪に札幌が再び名乗りを上げています。18年平昌、22年北京とアジアでの開催が続き、不利との見方もありますが、札幌の運命やいかに――。(データベース部 武藤泰之)

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2017年12月19日10:30 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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