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冬のオリンピックこぼれ話

12歳の氷上アイドル【1936年 ガルミッシュパルテンキルヘン】

 1924年(大正13年)の第1回大会以来、今回の韓国・ 平昌 ( ピョンチャン ) で23回目を迎える冬季オリンピック。雪と氷の祭典の長い歴史には、笑いや涙を誘うエピソードもたくさん詰まっています。読売新聞の過去の記事を振り返り、異色の選手、思わぬ結末、式典の舞台裏など、観戦の楽しみが増す「こぼれ話」を拾い上げ紹介します。

 “氷上の妖精たち”が舞う女子フィギュアスケート。戦前、「悦ちゃん」の愛称で国民的人気を集めた一人の少女がいました。稲田(いなだ)悦子(えつこ)さん。わずか12歳で日本人女子として初の冬季オリンピック代表に選ばれ、1936年(昭和11年)2月、ドイツ・ガルミッシュパルテンキルヘンで開催された第4回大会に出場しました。

あどけない小6、ヒトラーも注目?

  • 1994年1月13日付読売新聞夕刊(大阪)の稲田悦子さんに関する記事。写真説明には「昭和11年欧州選手権で、ヒトラーにあいさつする稲田悦子。この時、わずか12歳だった」とある
    1994年1月13日付読売新聞夕刊(大阪)の稲田悦子さんに関する記事。写真説明には「昭和11年欧州選手権で、ヒトラーにあいさつする稲田悦子。この時、わずか12歳だった」とある

 当時、稲田さんは大阪市の菅南小学校(現・西天満小)6年生。オリンピック前年の全日本選手権で初優勝し、「天才少女」として頭角を現しました。身長は約130センチ。読売新聞は、「あの小さな身体で……ターンの正確さは男子も及ばない」と絶賛。オリンピック代表決定後はラジオ番組にも出演するなど、国民的アイドルとなりました。

 代表選手のプロフィル紹介記事では、「(開催地ドイツへの)出発前お母さんと一緒でなけりゃイヤだなんてダダをこねた」と、まだあどけない様子を読売新聞は伝えています。

 稲田さんが冬季オリンピックに出場した1936年は、日独防共協定が結ばれ、翌年に盧溝橋事件が起きるなど、きな臭さが漂い始めた時代でした。すでに政権を握っていたヒトラーがオリンピック開会式に臨席。大きな外国人選手に囲まれた稲田さんを見て、「あの子は何をしに来たんだ」と尋ねたというエピソードも残っています。

玩具箱から抜け出したような…

 オリンピック本番では、「銀色の上衣とスカートに白いストッキング、玩具箱から抜け出したやうな愛くるしい姿で」2日目のフリー演技を見事にこなし、総合成績で10位に入りました。

 「悦ちゃん凱旋(がいせん)」の見出しで、神戸港に船で帰国した日本選手団を報じた読売新聞は、「私が一番小さかったワ、フランスのイボンヌさんの半分しかないよ……こんどのオリムピックでは負けへんワ」と、関西弁で語る稲田さんの負けん気を伝えました。

  • 第7回冬季国体フィギュア女子1位の稲田悦子さん(栃木県日光で、1952年1月27日撮影)
    第7回冬季国体フィギュア女子1位の稲田悦子さん(栃木県日光で、1952年1月27日撮影)

 稲田さんはその後、育児などで競技を一時離れた時期があったものの、世界選手権に出場するなど活躍を続け、28歳で選手生活にピリオドを打ちました。2度目のオリンピック出場は、国際情勢の悪化による開催中止で実現しませんでした。

 引退後はコーチとして、インスブルック冬季五輪(1964年)で5位に入賞した福原美和選手を育てあげるなど後進の指導に尽力。2003年7月、79歳で亡くなりました。生涯をフィギュアスケートに(ささ)げた人生でした。葬儀のとき、すんなり伸びた美しい“黄金の足”が遺族の目を引いたそうです。(データベース部 武中英夫)

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2017年12月22日07:00 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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