冬のオリンピックこぼれ話

“スキー一家”努力の「銀」【1956年 コルティナダンペッツォ】

 1924年(大正13年)の第1回大会以来、今回の韓国・ 平昌 ( ピョンチャン ) で23回目を迎える冬季オリンピック。雪と氷の祭典の長い歴史には、笑いや涙を誘うエピソードもたくさん詰まっています。読売新聞の過去の記事を振り返り、異色の選手、思わぬ結末、式典の舞台裏など、観戦の楽しみが増す「こぼれ話」を拾い上げ紹介します。

 千島列島・国後島で、春に生まれたのにちなんで、名前は「千春」。後に日本人として冬季オリンピック初のメダリストとなる猪谷(いがや)千春(ちはる)さん(86)は、雪を求めて北の果てに移り住んでいた風変わりな“スキー一家”に生まれました。

 猪谷さんの父親、六合雄(くにお)さんは群馬・赤城山の旅館の息子。大正の初め、スキーをかついできた旧制一高生の姿を見て、当時、海外から紹介されて間もない冬のスポーツに魅了されました。滑走技術の研究に打ち込み、日本スキー界の草分けといわれた人です。

国後、乗鞍、八甲田…各地を転々

  • コルティナダンペッツォ冬季オリンピックで、スキーの滑降、回転、大回転代表の猪谷千春選手(イタリアで、1956年1月撮影)
    コルティナダンペッツォ冬季オリンピックで、スキーの滑降、回転、大回転代表の猪谷千春選手(イタリアで、1956年1月撮影)

 「スキーが好きなあまり、よい雪のたくさんある所に行きたくて」。国内唯一の女性ジャンパーといわれた妻の定子さんや息子の千春さんらを連れて、一家は各地を移り住みました。

 国後島から赤城山、そして、北アルプス・乗鞍山麓、八甲田山を望む青森・浅虫、長野・志賀高原……。千春さんはスキーヤーとして最高の環境の中で育ちました。

 戦時中の1943年(昭和18年)、11歳のとき、明治神宮国民錬成大会で前走者を務めた猪谷千春さんは、大人の優勝者より6秒も速いタイムで滑り、周囲を驚かせます。その陰には、父親の六合雄さんらによる徹底した英才教育がありました。

 千春さんが20歳でオスロ冬季オリンピックに初出場(成績は男子回転で11位)した1952年(昭和27年)、読売新聞のインタビュー記事「スキーの天才・猪谷君 少年時代をご両親にきく」で、父親の六合雄さんは厳しいトレーニングの一端を明かしています。

薪を背負い山道20キロ余

 学校がない日は、朝9時ごろから夕方まで練習。雪のないときも「柴刈り、(まき)割りなど何でもさせ」「直径1尺(約30センチ)もある立木を切り倒したり、6里(約24キロ)の山道を10貫(もんめ)(約38キロ)の薪をしょって登る」ことまでさせたりして鍛え上げました。

 日常生活でも、「(小学校に入ると)スキーヤーは目が大せつだと本と目の距り(距離)、頭の位置など毎日採点表につけ」「両腕の力を平均させるため、お箸を交互に使ったりした」と語っています。

  • コルティナダンペッツォ冬季オリンピックのスキー回転で銀メダルを取った猪谷千春選手(中央)。羽田空港で両親に銀メダルを見せて喜び合った
    コルティナダンペッツォ冬季オリンピックのスキー回転で銀メダルを取った猪谷千春選手(中央)。羽田空港で両親に銀メダルを見せて喜び合った

 地道な努力が花開くときが来ます。1956年(昭和31年)1月、イタリアのコルティナダンペッツォで開かれた第7回冬季オリンピック。スキー男子回転で、この大会でアルペン3冠に輝いたトニー・ザイラー(オーストリア)に次ぎ、銀メダルを獲得。冬のオリンピックで日本人初の表彰台に立ち、日の丸をはためかせました。アルペン競技での日本人メダリストは、猪谷さん以来、60年以上出ていません。

 両親は五輪会場のイタリアには行かず、志賀高原のスキーハウスで朗報を待ちました。「ありがとうございました」と目をうるませた母・定子さんらの様子を読売新聞は伝え、千春さんの「今日あるは両親のお陰です」という現地からの手記も掲載されました。

 後年、千春さんは読売新聞のインタビューで、父親の過酷な指導を振り返り、「生まれ変わったら、スキーをやろうとは思わない」と告白しました。それでも、「月が明るい真冬の深夜に練習させられたなあ。月光が雪に反射して明るいんだ……」と語る猪谷さんは、とても懐かしそうでした。(データベース部 武中英夫)

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2017年12月28日15:30 Copyright © The Yomiuri Shimbun