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冬のオリンピックこぼれ話

ヒ・ミ・ツの最終ランナー【1988年 カルガリー】

 1924年(大正13年)の第1回大会以来、今回の韓国・ 平昌 ( ピョンチャン ) で23回目を迎える冬季オリンピック。雪と氷の祭典の長い歴史には、笑いや涙を誘うエピソードもたくさん詰まっています。読売新聞の過去の記事を振り返り、異色の選手、思わぬ結末、式典の舞台裏など、観戦の楽しみが増す「こぼれ話」を拾い上げ紹介します。

 馬の曲芸やインディアンの行進……。1988年(昭和63年)2月、カナディアンロッキー山脈のふもと、カナダ・カルガリーで開かれた第15回冬季オリンピックは、“カウボーイの町”にふさわしい開会式で幕を開けました。そして、そのクライマックス。6万5000の観衆で埋まったスタンドは、驚きの歓声に包まれたに違いありません。

12歳少女に大役の知らせ

  • カルガリー冬季五輪開会式。聖火台に点火する12歳の少女ロビン・ペリーさん(1988年2月13日撮影)
    カルガリー冬季五輪開会式。聖火台に点火する12歳の少女ロビン・ペリーさん(1988年2月13日撮影)

 最後に聖火を受け取り、聖火台に上がったのは、史上最年少12歳の無名の少女だったからです。「ヒ・ミ・ツの最終ランナー」の見出しで、読売新聞はそのサプライズ演出を伝えています。「数週間前、聖火ランナー候補として面接を受けたが、この“フツウの女の子”に最終ランナー決定が知らされたのが五日前」という慌ただしさでした。

 少女は地元の中学1年生だったロビン・ペリーさん。大役を任された驚きを「両親には知らせたが、級友たちには口止めされ、しゃべれなかったのがつらかった」と打ち明けました。

 4年前からフュギュアスケートを始め、地元の大会では活躍し始めていたようで、「五輪の将来を象徴する若さ」が指名の理由でした。記者会見では「いつかフィギュア選手になり、オリンピックに出たい」と、笑顔で夢を語ったそうです。

 そのまだあどけないスターに観衆は拍手を送り、「マンネリ化した五輪式典の意表をつく(組織委の)“作戦”が、ずばり当たった」と、現地ルポは締めくくっています。


ジョギング好き教授も聖火台に

  • レークプラシッド冬季五輪開会式。聖火のトーチを掲げ場内を一周する最終ランナーのアリゾナ大教授、チャールス・カーさん(1980年2月13日撮影)
    レークプラシッド冬季五輪開会式。聖火のトーチを掲げ場内を一周する最終ランナーのアリゾナ大教授、チャールス・カーさん(1980年2月13日撮影)

 冬季オリンピックの聖火の最終ランナーに、往年の名選手でもない一般市民がなったケースはほかにもあります。1980年(昭和55年)のアメリカ・レークプラシッド大会では、応募者6000人の中から、特に競技歴もないアリゾナ大学教授で医学博士のチャールス・カーさん(当時44歳)が、幸運を手にして聖火台に立ちました。

 健康のため走るのを欠かさないジョギング愛好家で、「黄色いトレーニングウエアに身を包み、いかにも市民ジョガーらしい足どりで」滑らないように場内をゆっくり1周。トーチを掲げて歓呼に応えたと、「ジョガー博士晴れ姿」の見出しで読売新聞は伝えました。

 聖火リレーをめぐっては、悲喜こもごものエピソードが残っています。

 1956年(昭和31年)のイタリア・コルティナダンペッツォ大会では、最終ランナーのスケート選手が大統領に一礼しようと向きを変えた際、リンク上のマイクのコードにスケート靴を引っかけて転倒。でも聖火はしっかり握って離さず、起き上がって役目を無事果たしたのです。「聖火は尊し」のタイトルで、そのシーンをとらえた写真も掲載されました。

  • ソルトレークシティー冬季五輪の聖火リレー。走者のジュリアーニ・ニューヨーク市長が五輪選手や犠牲者の家族ランナーなどに迎えられる(ニューヨークで2001年12月24日撮影)
    ソルトレークシティー冬季五輪の聖火リレー。走者のジュリアーニ・ニューヨーク市長が五輪選手や犠牲者の家族ランナーなどに迎えられる(ニューヨークで2001年12月24日撮影)

 多くの人の涙を誘ったのは、同時テロ事件から5か月後、2002年(平成14年)2月に開催されたアメリカ・ソルトレークシティー大会でした。開催地への途上、ニューヨーク市内を走り抜ける聖火リレーに、テロ犠牲者の遺族たちも参加したのです。

 世界貿易センターの崩落現場で、消防士の息子が行方不明のままという父親は「今も泣いている家族が大勢いる。聖火リレーを見て、九月十一日の悲劇がまだ終わっていないことを知って欲しい」と訴えたと、読売新聞はリポートしました。

 さて、来月の韓国・平昌オリンピックでは、聖火リレーにどんなドラマが生まれているのでしょう。そして、開会式の華やかな舞台で、最終ランナーとして聖火台に点火するのは……。(データベース部 武中英夫)

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2018年1月13日09:00 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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