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[平昌へ 期待のエース]辛抱の完全復活…宮原知子(2018年1月14日)

◇フィギュアスケート女子 宮原知子 19(関大)

  • 五輪代表に決まり、晴れ晴れとした表情で観客に手を振る宮原知子(手前)(2017年12月)
    五輪代表に決まり、晴れ晴れとした表情で観客に手を振る宮原知子(手前)(2017年12月)

 「本当に、心の底からガッツポーズできた」という。昨年12月の全日本選手権女子フリー。ほぼ完璧な演技で滑りきると、万感の思いを胸に、力強く両手を突き上げた。SP2位から逆転し、憧れてきた五輪切符をつかんだ。

 けがと闘い続けた1年だった。昨年1月に左股関節の疲労骨折が判明。春には1か月間リンクを離れ、リハビリに努めた。異変が起きたのは順調な回復を感じていた7月。「もう1回、いろんなところが痛くなった」。ジャンプの練習を封印して回復を待つことになり、10月の国際試合は欠場。黄色信号がともった。

 練習拠点では、浜田美栄コーチに学ぶ同門の選手たちが五輪を目指して必死だった。高難度のジャンプを跳ぶ選手の姿を横目に、滑りの練習しかできない日も。しかし、厳しい状況でも手は抜かず、アスリートとして一番の特長である生真面目さを失わなかった。「辛抱強い。普通だったらできない」と浜田コーチは語る。

 10月。焦りから無理をし、大きな故障につながることを恐れたコーチは、平昌を「諦めよう」と語りかけた。しかし、宮原は「自分の中では諦めていなかった」。例年より多く基礎練習をこなした分、滑りの質の向上に手応えを感じていた。完治のお墨付きを得て11月に実戦復帰すると、全日本選手権までにジャンプの感覚を取り戻すタフさを見せた。

 年が明け、迎えた成人の日。振り袖姿の宮原は、五輪への準備を聞かれ、「いつも通り、やるべき練習をやりたい」と言った。それが、メダルという次の夢に続く道だと知っている。(前田剛、おわり)

 

 ◇みやはら・さとこ 1998年生まれ。京都市出身。2015年世界選手権2位。16年四大陸選手権優勝。全日本選手権は17年まで4連覇。1メートル52、40キロ。

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2018年1月24日15:11 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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