冬のオリンピックこぼれ話

戦火に葬られた舞台 【1984年 サラエボ】

 天井は焼け落ち、骨組みがむき出しになった巨大な廃屋。そのわきの草むらで、悲しげにしゃがみ込む一人の女性……。

 「サラエボから13年 聖火よ再び」の見出しで1枚の写真が、1997年(平成9年)12月、読売新聞社会面に載りました。

かつてのスタジアム 草むらに墓標

  • 破壊されたサラエボ五輪のゼトラ・オリンピックホールと、犠牲者が眠る墓標を前にした女性(1997年12月15日、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで)
    破壊されたサラエボ五輪のゼトラ・オリンピックホールと、犠牲者が眠る墓標を前にした女性(1997年12月15日、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで)

 荒れ果てた建物はかつて、ユーゴスラビアの古都サラエボで開かれた冬季オリンピックで、アイスホッケーや閉会式などの舞台として、華やかに彩られたメインスタジアム「ゼトラ・オリンピックホール」でした。しかし五輪の閉幕後、ユーゴ各地で民族紛争が勃発。激戦地となったサラエボの街には砲声や銃声が響き、多くのオリンピック施設が破壊されたのです。

 写真に写る草むらの立て板は、そこに眠る犠牲者たちの墓標でした。サラエボを巻き込んだ「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」では、25万人が命を失い、200万人が住む家を奪われたともいわれます。

 1984年(昭和59年)2月に開かれたサラエボ冬季オリンピックは、初の社会主義国(当時の開催国ユーゴスラビア)での五輪として、ひとときの平和を感じさせた大会でした。紛争下にあったレバノンが出場し、中国と台湾、韓国と北朝鮮も参加。「閉会式の幕切れは、社会主義国と自由主義国の固い握手だった」と読売新聞は伝えています。

  • サラエボ五輪の選手村だった住宅街に残る壊れた戦車(1994年3月23日、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで)
    サラエボ五輪の選手村だった住宅街に残る壊れた戦車(1994年3月23日、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで)

 その舞台がやがて戦火に包まれると、だれが予想できたでしょう。“民族のるつぼ”といわれ、六つの共和国と二つの自治州が連邦国家を形づくっていたユーゴスラビアでは、冷戦終結後の1990年代以降、民族紛争が起きます。サラエボを首都とするボスニア・ヘルツェゴビナ共和国では、92年4月から独立をめぐり紛争に突入。和平に至るまで3年余り、激しい戦闘が繰り広げられました。

氷上に反戦歌 祈り込め舞った元女王

  • リレハンメル五輪フィギュアスケート・女子シングルスで、フリーの演技をするビット選手(1994年2月28日、ノルウェー・リレハンメルで)
    リレハンメル五輪フィギュアスケート・女子シングルスで、フリーの演技をするビット選手(1994年2月28日、ノルウェー・リレハンメルで)

 そのさなかの1994年(平成6年)2月、ノルウェーのリレハンメルで開かれた冬季オリンピックで、観客の心を揺さぶるシーンがありました。

 女子フィギュアスケートのフリー演技。ドイツのカタリナ・ビット選手(当時28歳)のリンクに流れた曲は、往年の大女優マレーネ・ディートリヒが物憂げに歌う反戦歌「花はどこへ行った」だったのです。

 ビット選手がその10年前、18歳で初めて金メダルをつかんだのが、いまは戦禍にあえぐサラエボでした。続く1988年のカナダ・カルガリー五輪で連覇を果たした後、現役を引退したビット選手でしたが、サラエボの悲劇に胸を痛め、「平和を訴えたい」とメダルは度外視して、オリンピックの舞台に戻ってきたのです。

 「『花はどこへ行った』! サラエボへ祈るビット」の見出しで、読売新聞は感動的な場面を伝えました。「(曲が)流れると、ビットはしばらく黙とうをささげるようにメロディーに身を任せ、それからおもむろに滑りだした」「顔を覆うようなポーズや悲しげな表情」で、サラエボの平和へのメッセージを切々と伝えた――と。

  • 五輪の形に火をともし、バラの花をそなえてサラエボへ支援のメッセージを送る市民(1994年2月28日、ノルウェー・リレハンメルで)
    五輪の形に火をともし、バラの花をそなえてサラエボへ支援のメッセージを送る市民(1994年2月28日、ノルウェー・リレハンメルで)

 リレハンメル五輪では、市民団体も難民救援などを呼びかけて、募金運動を展開。スピードスケートで3冠を果たしたノルウェーのコス選手は、それに共感して金メダルの報奨金を寄付するなど、サラエボへの支援や反戦を訴える動きが広がりました。

 焼けただれたサラエボのオリンピック施設は、その後、国際オリンピック委員会(IOC)などが復興を援助。墓地のわきで廃虚と化していたゼトラ・オリンピックホールも再建されました。

 ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナは、サラエボ五輪から14年後の1998年2月、決まったばかりの新国旗を掲げて長野オリンピックに出場、新たな道を歩み始めました。

 来月開幕する韓国・平昌オリンピックには、北朝鮮も参加。開会式では朝鮮半島旗を掲げて、南北合同入場行進を「コリア」の名前で行う予定です。平和へのメッセージを、世界中の人たちが見守ろうとしています。(データベース部 武中英夫)

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 1924年(大正13年)の第1回大会以来、今回の韓国・ 平昌 ( ピョンチャン ) で23回目を迎える冬季オリンピック。雪と氷の祭典の長い歴史には、笑いや涙を誘うエピソードもたくさん詰まっています。読売新聞の過去の記事を振り返り、異色の選手、思わぬ結末、式典の舞台裏など、観戦の楽しみが増す「こぼれ話」を拾い上げ紹介します。
2018年1月30日14:01 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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