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アイスホッケー聖地・苫小牧の秘密を探る

 北海道苫小牧市は「氷都」とも呼ばれ、これまで多数のアイスホッケー日本代表選手を輩出してきた。今回の平昌オリンピックに出場する女子代表「スマイルジャパン」では、選手23人のうち苫小牧市出身、あるいは苫小牧市内のチームに所属している選手が10人おり、半数近くを数える。苫小牧から、なぜそんなにたくさんの代表選手が出るのか、アイスホッケーの「聖地」の秘密を探った。(村井利之)

アイスホッケーが盛んなわけ

  • 苫小牧市長から受け取った旗を広げて、記念撮影するスマイルジャパンメンバー
    苫小牧市長から受け取った旗を広げて、記念撮影するスマイルジャパンメンバー

 苫小牧市を訪れたのは1月19日。この日、苫小牧市役所でスマイルジャパンのメンバー23人と山中武司監督に対する壮行会が行われた。市役所ロビーには市民約250人が集まり、メンバーの挨拶に大きな拍手で応えていた。時折、メンバーの名前を呼ぶ声も上がり、メンバーも手を振って応える。市民との距離の近さが感じられる。

 苫小牧では、なぜ、アイスホッケーが盛んなのか。苫小牧市スポーツ推進室の神保英士さん(46)に聞いてみた。

 苫小牧は北海道の中では雪が少ない一方、沼地が多かったので、冬になると自然に氷が張り、天然のリンクがあちこちにできる自然環境があったという。昔は、学校のグラウンドや公園などに水をまいて作ったリンクで、子供たちがスケート遊びをする姿がどこでも見られたという。

 人口17万人ほどの市だが、市内にはアイスホッケーができる屋内リンクが4つ、スピードスケートのできるリンクが1つと充実しており、競技環境に恵まれた地となっている。

恵まれた競技環境

  • 苫小牧市内のリンクで最多の観客収容数を誇る白鳥王子アイスアリーナ。数々の名勝負が繰り広げられてきた
    苫小牧市内のリンクで最多の観客収容数を誇る白鳥王子アイスアリーナ。数々の名勝負が繰り広げられてきた

 恵まれた環境を反映して、アイスホッケーのチーム数も多い。市内には大人から子供まで、約50チームの登録があり、1000人ほどが競技を行っている。男女や年代を問わず、様々な大会が年に40以上行われており、競技レベルの向上につながっている。

 苫小牧のスケートの歴史は古く、1925年には市内にスケート協会が設立されている。31年には同市に拠点を置く「王子製紙苫小牧工場」のアイスホッケー部(現在は実業団チームの「王子イーグルス」)が設立された。戦後は、実業団リーグで王子製紙と岩倉組(当時。現在は廃部)が、日本アイスホッケーリーグや全日本アイスホッケー選手権大会で優勝を分け合うなど、市内を二分する盛り上がりを見せた。その頃は、リンクに満員の観客が詰めかけていたという。

 日本リーグは2004年に休止されたが、王子イーグルスは現在、「アジアリーグ」(日本、韓国、ロシアの9チーム)に参加している。苫小牧市は16年に王子イーグルスと包括連携協定を結び、同チームを積極的に応援している。2016年には、最も応援に熱の入った本拠地に贈られる「ホッケータウン・イン・アジア」賞を受賞している。

 去年2月には平昌オリンピックの出場をかけた最終予選が苫小牧市の白鳥王子アイスアリーナで行われ、約3000人の観客で埋まった。運営側としてその様子を見た神保さんは、「会場が満員となって一体感のある様子に感動した」と話す。市では同アリーナで、平昌オリンピックの日本初戦となる2月10日のスウェーデン戦のほか、12日のスイス戦、14日の韓国戦でパブリックビューイングを行う。オリンピックでは、市民一丸となってスマイルジャパンを盛り上げ、応援していく。

女子アイスホッケーでも先駆

 初めてオリンピックで女子アイスホッケーの大会が行われたのは、1988年の長野オリンピックだった。その際、女子代表監督としてチームを指導した板橋亨さん(71)も苫小牧市出身だ。

 自身も岩倉組の選手として10年間プレーした。その間に、68年にはグルノーブルオリンピック(仏)に出場したほか、世界選手権にも2度出場している。

 その後、指導者の道に進んだ。90年からは、苫小牧ペリグリン(現・道路建設ペリグリン)の監督として女子選手の指導や育成にかかわり、同チームを7回の全日本優勝に導いている。長野オリンピック以降は苫小牧、北海道のアイスホッケー連盟の仕事に携わった。

 苫小牧で長くアイスホッケーを見つめてきた板橋さんは、昔のアイスホッケー人気の中、たくさんの観客の前でプレーすることで、「自分たちの実力以上の試合ができた。ただ、その分、負けたらプレッシャーがあった。王子製紙と戦う時は他の地区のチーム以上に負けたくなかった」と振り返る。しかし、そのように同じ地区で切磋琢磨(せっさたくま)できる環境は「選手レベル向上に役立っていた」と話す。

 こうして苫小牧で育った代表が多く入ったスマイルジャパン。板橋さんは、「山中監督の下、守り重視というチーム作りをしてきてその成果は出てきている。監督から教わったことをすべて出し切って、勝つホッケーをやってほしい。苦しい時にも笑顔で励まし合うことも忘れないで、助け合いながら、ぜひ頑張ってほしい」とエールを送る。

 今後の女子アイスホッケーのため、「初戦のスウェーデン戦がカギ。まずは勝って、それから目標としているメダルを取りに進んでいってほしい」と、初戦突破に期待を込めていた。

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2018年2月10日05:00 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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