冬のオリンピックこぼれ話

転んでも、もう一度 【1992年 アルベールビル】

 1984年(昭和59年)6月8日――。ショートヘアのあどけない少女は、半年ほど前のその“記念日”をうれしそうに記者に語りました。当時まだ15歳、名古屋市立前津中学3年だった伊藤みどりさんです。

 「人物グラフィティ “トリプル”にかけた青春」の見出しで、同年11月に読売新聞夕刊に載ったフォト特集記事。軽やかなジャンプの連続写真とともに、早朝、下校後、夜と1日3回計7時間、フィギュアスケートの猛練習に打ち込む少女の素顔を紹介しました。

トリプルアクセル記念日 中3の伊藤みどりさん

  • 「人物グラフィティ “トリプル”にかけた青春」(1984年11月24日読売新聞夕刊)の紙面。「天性のバネを生かし女子では至難の三回転ジャンプを楽にこなす」とある
    「人物グラフィティ “トリプル”にかけた青春」(1984年11月24日読売新聞夕刊)の紙面。「天性のバネを生かし女子では至難の三回転ジャンプを楽にこなす」とある

 「6月8日」は少女にとって忘れもしない、練習中のリンクで「はじめて三回転半が飛べた記念の日」でした。今でこそ「トリプルアクセル」として、フィギュアファンにすっかりおなじみの3回転半ジャンプですが、そのころ、女子選手では世界中まだ誰も試合で成功していない前人未到の技だったのです。

 「優勝した時より、ずっとうれしかった」と、練習中とはいえ初のトリプルアクセル成功の瞬間を、「ドリちゃん」こと中3の伊藤みどりさんは振り返っています。

 どの競技にも時代を切り開いた人たちがいます。トルネード投法で大リーガーたちを翻弄した野茂英雄さん、ドイツ・ブンデスリーガで活躍し日本人プロ選手の先駆けとなったサッカーの奥寺康彦さん……。そして女子フィギュアでは、オリンピックで女子初のトリプルアクセルを成功させた伝説のスケーター伊藤さんです。

男子並みジャンプ力 「芸術」から「スポーツ」へ

 トリプルアクセルは、19世紀末にノルウェーのアクセル・パウルゼンがそのベースを築いたのが名前の由来です。ルッツやサルコーなど6種類の3回転ジャンプのうち、トリプルアクセルだけは前向きの助走で踏み切り、着氷は後ろ向きになるため半回転多い3回転半となります。

  • 女子選手として国際大会で初めて成功させたトリプルアクセルの瞬間。伊藤みどりさんの跳躍の高さは、男子トップ選手並みを誇っていた(1988年11月26日、東京・国立代々木体育館でのNHK杯で)
    女子選手として国際大会で初めて成功させたトリプルアクセルの瞬間。伊藤みどりさんの跳躍の高さは、男子トップ選手並みを誇っていた(1988年11月26日、東京・国立代々木体育館でのNHK杯で)

 伊藤みどりさんが、国際大会で女子として初めてトリプルアクセルを成功させたのは、中学3年で練習中に成功して4年後の1988年(昭和63年)11月、NHK杯でした。
 そして4か月後の89年(平成元年)3月、パリでの世界選手権でも見事に決め、アジア勢初の世界一に輝きました。そのとき読売新聞は「天才ジャンプ 新しい流れ切りひらく」の見出しで次のようにリポートしました。
 「フワッと真上に舞い上がって、ゆったり降りる感じの独特のジャンプは、シンが真っすぐで、どっしりした安定感にあふれている。高さも申し分ない」

 普通の女子選手は30~40センチ跳ぶのが精いっぱいですが、伊藤さんは身長1メートル45と小柄ながら、ジャンプ力は男子のトップクラスに匹敵する60センチを超え、滞空時間も長いのが特徴でした。ジャンプの多彩さ、安定感は抜きんでていました。

 記事では、80年代に女王として君臨したカタリナ・ビット選手の「バレエを連想させる“芸術フィギュア”」に対して、「伊藤ならではの“スポーツ・フィギュア”」と表現。「芸術からスポーツへ――女子のフィギュア界は、伊藤をリーダーに、新時代のスタートを切った」と伝えました。

 そして、そのときがやってきます。22歳で2度目のオリンピックとして迎えた1992年(平成4年)2月のフランス・アルベールビル大会。「金メダル確実」と期待された伊藤さんは「体がぶるぶる震えてくる」というほどの重圧の中、前半のオリジナルプログラムで転倒して4位と出遅れ、最後のフリーに臨みました。

「どうしても跳びたかった」崖っぷちから挑戦

  • アルベールビル冬季五輪。銀メダルを胸に歓声にこたえる伊藤みどりさん。4位スタートとなったフリーで、女子として五輪史上初めてトリプルアクセルを決め、2位に浮上。冬季五輪の日本女子で過去最高(当時)の「銀」を獲得した。1992年2月21日撮影
    アルベールビル冬季五輪。銀メダルを胸に歓声にこたえる伊藤みどりさん。4位スタートとなったフリーで、女子として五輪史上初めてトリプルアクセルを決め、2位に浮上。冬季五輪の日本女子で過去最高(当時)の「銀」を獲得した。1992年2月21日撮影

 挽回を狙ったものの最初のトリプルアクセルで尻もち。「観客のため息が私にも聞こえ」、メダルはもう無理かと崖っぷちに立たされたとき、3回転半の離れ業にもう一度挑み、きれいに決めたのです。

 「オリンピックでトリプルアクセルをどうしても跳びたかった」と試合後に語った伊藤みどりさん。金には届きませんでしたが、日本の女子選手として当時、冬季オリンピック最高の銀メダルに輝きました。「転んでも、もう一度 大舞台、決めた3回転半」の見出しで、読売新聞は「逃げずに難関に立ち向かった」伊藤さんの気迫もたたえました。

 伊藤さんは、小学5年から親元を離れて山田満知子コーチの家に住み込み、練習に打ち込んできました。しかし、トリプルアクセルでは着氷時、右足に約200キロの負荷がかかるとされ、長年繰り返したジャンプは足腰を確実にむしばんでいました。

 2度の骨折、アキレスけんの炎症、打ち身、腰痛と、名古屋の主治医の診察回数は500回を超えていました。アルベールビル五輪の2か月後、長年のプレッシャーから解放されたいと、伊藤さんは現役引退を表明します。

  • スケート教室で子どもたちを指導する伊藤みどりさん(2015年1月7日、北海道函館市で)
    スケート教室で子どもたちを指導する伊藤みどりさん(2015年1月7日、北海道函館市で)

 その後、読売新聞主催のフォーラムで伊藤さんは、トリプルアクセル成功のポイントを聞かれ、「精神力がものをいいます。そして勇気。普通のジャンプと違って、前向きに跳ぶので、すごく怖いんです」と打ち明けています。

 「伊藤みどりさんのように」とあこがれ、その後、中野友加里さん、浅田真央さんらがトリプルアクセルを跳ぶ夢をかなえます。平昌オリンピックでは、アメリカの長洲未来選手が成し遂げました。五輪では伊藤さん、浅田さんに続く快挙です。

 中学生の伊藤みどりさんがかつて目指した夢を、若い選手たちがいま追いかけ続けています。(データベース部 水戸英夫)

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 1924年(大正13年)の第1回大会以来、今回の韓国・ 平昌 ( ピョンチャン ) で23回目を迎える冬季オリンピック。雪と氷の祭典の長い歴史には、笑いや涙を誘うエピソードもたくさん詰まっています。読売新聞の過去の記事を振り返り、異色の選手、思わぬ結末、式典の舞台裏など、観戦の楽しみが増す「こぼれ話」を拾い上げ紹介します。
2018年2月23日21:10 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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