冬のオリンピックこぼれ話

雪のない南の国から 【1972年 札幌】

 真新しい21棟の宿舎が並んだ真駒内の選手村に、参加35の国と地域が入居をすませたのは、札幌オリンピック開会式の3日前、1972年(昭和47年)1月31日でした。

 その日行われた“最後の入村式”。開幕直前に来日した選手・役員20人ほどの中に、初々しい10代の若者2人の姿がありました。初参加のフィリピン代表選手でした。

 「雪のない南の国から」のタイトルで、読売新聞はその2人を紹介しました。第1回冬季オリンピックが1924年(大正13年)にフランス・シャモニーで開かれてから半世紀近く、赤道間近の熱帯の国から出場するのは、札幌五輪が初めてのことでした。

留学先の山々で練習 17歳が大回転42位に

  • 1972年の札幌五輪。初参加したフィリピンのアルペン代表、フアン・シプリアノ選手(左)とベン・マナスカ選手。冬季五輪史上、初めて熱帯の国からの出場となった
    1972年の札幌五輪。初参加したフィリピンのアルペン代表、フアン・シプリアノ選手(左)とベン・マナスカ選手。冬季五輪史上、初めて熱帯の国からの出場となった

 2人は17歳のベン・マナスカ君と、19歳のフアン・シプリアノ君。雪にも氷にも無縁の南の島国ですが、2人ともスイスの高校に留学中で、数年前からスキーに夢中になってヨーロッパの山々で練習。アルペンのフィリピン代表に選ばれたということでした。

 記事によると、「回転と大回転に出るつもりだが、滑降は技術的にどうも…」と自信なさげに話しました。

 細かい旗門を滑り抜ける回転では、残念ながら2人ともゴールにたどりつけませんでした。しかし大回転では、フアン君は途中失格したものの、ベン君は2回の滑走とも滑り切りました。金メダルのグスタボ・トエニ選手(イタリア)には合計タイムで1分近くもの差をつけられましたが、完走者48人中42位と健闘したのです。

  • 1984年のサラエボ五輪。初出場のアフリカのセネガルのラミネ・ギュエイエ選手。本番に向けて滑降コースでの公式練習に臨んだ
    1984年のサラエボ五輪。初出場のアフリカのセネガルのラミネ・ギュエイエ選手。本番に向けて滑降コースでの公式練習に臨んだ

 12年後の1984年(昭和59年)のサラエボ五輪では、常夏の国の選手がさらに登場します。その一人、アフリカのセネガルから初出場した23歳のラミネ・ギュエイエ選手。男子滑降の公式練習で、ぎこちない滑りながらも真剣に取り組む姿を、読売新聞は連載「バルカンの聖火」で取り上げ、「門戸拡大 黒人選手も初参加」と伝えました。

 オリンピックで好成績を残せば、国から奨学金をもらえて腕を磨ける。そして、母国の「スキーのために尽くしたい」と、ギュエイエ選手は将来の夢を語りました。

40代の大学教授 五輪5回出場「グランマ」も

 ただ、雪のない南国の選手の実力はまだまだでした。その公式練習で最下位タイムだった18歳のエジプト選手の父親は、「うちの息子はピラミッドから滑って練習したのかと、よくからかわれる」と自嘲気味に冗談を飛ばしました。

 ランキングで出場が制限されるワールドカップ(W杯)などとは違い、オリンピックは「一国一人」の枠が与えられます。常夏の国の選手たちの中には、たとえ成績は今ひとつでも、冬の祭典に出場する喜びを満喫しようとチャレンジする人たちもいます。

  • ソルトレークシティー五輪。スキー距離男子スプリントのゴール後、カメルーンのメニョリ選手(左)と健闘をたたえ合うタイ初の冬季五輪代表プラウワット・ナジャハジャラ選手。(2002年2月19日、米・ユタ州ソルトレークで)
    ソルトレークシティー五輪。スキー距離男子スプリントのゴール後、カメルーンのメニョリ選手(左)と健闘をたたえ合うタイ初の冬季五輪代表プラウワット・ナジャハジャラ選手。(2002年2月19日、米・ユタ州ソルトレークで)

 2002年(平成14年)のソルトレークシティー五輪で、スキー距離男子スプリントに、タイから初出場した43歳のプラウワット・ナジャハジャラさんは、当時アメリカの大学のコンピューター工学の教授。留学先のアメリカで初めて雪に触れて、スキーにはまったと、読売新聞は「僕らはパイオニア」の見出しで紹介しました。

 大会出場は3年前からと経験不足で、すでに40代。順位は71人中68位に終わりましたが、ゴール後、67位のアフリカのカメルーン代表選手と健闘をたたえ合い、「全力を出しきったよ。国を代表できてうれしい」とすがすがしく語りました。次の2006年トリノ五輪にも連続出場し、96位の最下位ながら見事完走しています。

 ソルトレークシティー五輪では、カリブ海のアメリカ領バージン諸島のアン・アバナシーさんも注目を集めました。リュージュ女子1人乗りに出場し、26位で完走したのですが、なんとこれが5回目のオリンピックでした。

 当時、女子選手として冬季オリンピック最年長の48歳で、愛称は「グランマ(おばあちゃん)リュージュ」。4年前の長野五輪のとき、読売新聞のインタビューに「グランマ」は、何よりオリンピックの雰囲気が好きで、「開会式で聖火が入ってくると、毎回感動して泣いてしまう」と“五輪愛”を語りました。

映画を地で行くドタバタ 体重オーバー失格も

  • 長野五輪。歓迎式で子供たちから習字のプレゼントを贈られるジャマイカのボブスレーチーム(1998年2月4日、長野市の選手村で)
    長野五輪。歓迎式で子供たちから習字のプレゼントを贈られるジャマイカのボブスレーチーム(1998年2月4日、長野市の選手村で)

 南の国といえば、大ヒット・コメディー映画「クール・ランニング」のモデルとなったジャマイカのボブスレーチームを思い浮かべる人がいるかもしれません。

 1988年(昭和63年)のカルガリー五輪に初出場。映画の筋書きを地でいくように、その後も「体重オーバー あえなく失格」(94年リレハンメル五輪)、「ないない尽くし 涙ぐましい資金稼ぎ」(98年長野五輪)などドタバタを演じながらも、冬のオリンピック出場を続け、すっかりおなじみになりました。

 平昌オリンピックでも、開会式で南太平洋の島国トンガの旗手が上半身裸で行進するなど、常夏の国の選手たちがあちこちで話題をふりまいたようです。(データベース部 武中英夫)

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 1924年(大正13年)の第1回大会以来、今回の韓国・ 平昌 ( ピョンチャン ) で23回目を迎える冬季オリンピック。雪と氷の祭典の長い歴史には、笑いや涙を誘うエピソードもたくさん詰まっています。読売新聞の過去の記事を振り返り、異色の選手、思わぬ結末、式典の舞台裏など、観戦の楽しみが増す「こぼれ話」を拾い上げ紹介します。
2018年2月25日10:00 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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OARはロシアからの五輪選手