タスキはつながった(2)

東海大付属福岡高(福岡県) 陸上競技部

こんな話です

 駅伝王国の福岡県で無名校に等しかった東海大福岡高の陸上競技部。創部初の留学生で、ケニア人のキムンゲ・サイモンの加入をきっかけに、部員たちは本気で全国大会を意識するようになった。

▽過去の連載

 タスキはつながった(1)

練習で大けが。涙の夏合宿

 キムンゲ・サイモン。長距離王国・ケニアから陸上の無名校にやってきた留学生は、えらくたくましかった。

 文化も生活習慣も違う異国の地で自炊生活を送り、日中は日本人生徒に交じって日本語で授業を受ける。同級生の川添らからすれば、それだけでも大変なことだったが、サイモンはしばらくするとクラスの人気者になった。

 休み時間になるとサイモンのまわりには男女問わず自然と人が集まってくるのだ。

 「ねぇねぇ、サイモン君の古里ってどんな所?」

 「エート、ボクノスムニャフルルハ、アツクテモ20℃クライノコウゲンデス」

 「好きな食べ物は?」

 「カレーライス、タマゴガスキデス。ヤサイハダメネ」

 片言の日本語で一問一問、丁寧に答えるサイモン。最後にキラリと光らせる白い歯がだめ押しになって、少しでもサイモンと言葉を交わした者は、みな彼のとりこになった。

みんなの目標

 1年生にしてすでに高校トップクラスのタイムをたたき出していたサイモンは、練習ではもちろんみんなの目標になった。

 誰よりも入念にアップに時間をかけ、本格的な走りの練習になると、ロードでもトラックでも常に集団の先頭に立ち、チームを引っ張った。そのスピードは、3年でエースの大保(だいほ)ですら食らいつくのが精いっぱいで、部員全員で毎日、彼の背中を必死に追いかけた。

 なぜ、右も左もわからない異国の地でこんなに頑張れるのか。川添はサイモンの夢を聞いて、納得した。

 「オリンピックデ、キンメダルネ」

 夢、というより現実的目標かもしれない。実はサイモンの故郷ニャフルルは、ケニア長距離界の聖地。酸素の薄い標高2000mを超える高地にあり、そこで育ったランナーは生まれながらの高地トレーニングで心肺機能を鍛えられる。

 北京五輪金メダリストのサムエル・ワンジル、シドニー五輪銀メダリストのエリック・ワイナイナはいずれもニャフルル出身で、その後、トレーニング環境が整う日本の高校や実業団で経験を積み、世界に羽ばたいた。

 「(みやこ)大路(おおじ)」経由「五輪」――。サイモンは多くの人の期待を背負って、壮大な目標に向かって走り続けていた。

「デラレマセン」

 アクシデントは2016年8月、長野県の菅平高原で行われた夏合宿で起きた。

 駅伝シーズンに向け、個々のレベルアップをめざすこの合宿でもサイモンは絶好調。朝から夕方まで走り続ける過酷なトレーニングにも、田代監督が「ストップ!!」と何度も叫ばない限り、走るのをやめなかった。

 ところが合宿最終日の8月12日早朝、トラックでスピードを上げようとしたサイモンが突然、転んだ。すぐ立ち上がり、走ろうとするが、また転ぶ。4度目の転倒であおむけになり、とうとう動かなくなった。

 「キムンゲ、大丈夫か!!」。救急車を呼んだ田代監督がサイモンに声をかける。

 「センセイ、イタイデス」。そう答えたサイモンは目から大粒の涙を流し、何度も田代監督に謝った。

 「センセイ、ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。エキデン、デラレマセン」

 右足大腿(だいたい)骨骨折。手術が必要なほどの大けがだった。(敬称略)