教育

74歳 21年かけ大学卒業

 夢は弁理士に――。有田町中樽で通信設備会社を営む中島信行さん(74)が今春、中央大法学部通信教育課程を卒業した。仕事の好不況の波にもまれて休学と復学を繰り返し、要した歳月は21年。「まだ目標の一つをクリアしたに過ぎません」と、ますます向学心を燃やしている。(鶴結城)

夢は弁理士 向学心なお

  • 21年かけて卒業証書を手にした中島さん(左)と久美子さん夫婦
    21年かけて卒業証書を手にした中島さん(左)と久美子さん夫婦

会社経営と両立…交通費に困ることも

 中島さんは同町出身。福岡工業短大(現・福岡工業大短期大学部)を卒業し、福岡や長崎で通信機器関連会社に勤めた後、31歳で起業した。 

 幼少期に米国の発明王・エジソンの伝記を読んだことをきっかけに、遠隔地の人々と会話できる電話や無線に興味を持った。短大進学や会社経営もその一環。「無から有を生むすごさ。アイデアが富を生むすごさ。子どもながらに心を奪われた」

 4人の子育てが一段落した1997年4月、中央大の通信教育課程で学ぶことを決意。発明やアイデアなど知的財産を扱う弁理士を目指し、「常に最先端の技術に接する環境にいたいと思った」。初孫が誕生した53歳の時だった。

 会社経営と学業の両立はは容易ではなかった。まとまった休暇は1週間が限度。通信授業を受けてリポートを提出するだけでなく、多摩キャンパス(東京)や主要都市での面接授業を受講する必要があるため、単位取得は数年がかりとなった。

 景気や家庭環境が厳しい時期もあった。2008年のリーマン・ショックの影響などで会社の経営が苦しくなると、面接授業を受けるための交通費を捻出できなくなり、休学と復学を繰り返して在籍期間を延ばした。10年10月には妻・久美子さん(71)が大動脈解離を発症する災難にも見舞われた。

 それでも勉学を諦めなかった。リポートには睡眠時間を削って取り組み、土・日曜日の夜に仕上げた。難解な法律用語にも徐々に慣れ、3年前には卒業論文の8単位を残すのみに。「何度もくじけそうになった」ものの、大学の受験勉強に励んでいた初孫に刺激を受け、「初孫より先に卒業することを目標にラストスパートした」という。

 自治会費を巡る法律的な問題点をテーマに書き上げた卒論はA4判で16ページになり、評価は4段階中2番目の「B」判定。「途中の評価は散々だったけど、何とか単位を取得できた」と苦笑する。3月25日、久美子さんと一緒に上京して卒業式に出席し、無事に卒業証書を手にした。

 中島さんは「途中で投げ出すのは情けないと思って、何とか踏ん張ってここまで来られた。それでもまだ通過点。これから何年かかっても、夢である弁理士の資格取得を目指して頑張りますよ」と力強く語った。