株式会社ツナグ

分断する日本人と価値観~佐藤尚之氏(前編)

ショッピングモールで一日を過ごす地方の若者

  • 社会が分断していて、消費行動が全く異なる(イメージ)
    社会が分断していて、消費行動が全く異なる(イメージ)

 ――著作の中ではその一例として、「マイルドヤンキー」の話を書いていましたよね。地方に住んでいて、若いうちに結婚して子どもを作り、移動は車で、休日は地元のショッピングモールで過ごしている。ところが、宣伝を作ったりプロモーションを企画したりするような人は都心にいて、電車で通勤している。すると、地方の姿が見えない。

 社会が分断していて、消費行動が全然違っています。マイルドヤンキーはその例のひとつですが、彼らはネットをほとんど活用していない。メールとLINEはやるけれど、情報を摂取するような行動はしない。逆に、テレビはよく見ている。前著を書いたころに、休日に郊外のショッピングモールでフィールドワークをしました。本当に世界が違いますよ。大都会に住む我々には、彼らの日常は何も見えていなかった。

 ――僕らのイメージでは、アメリカは階層社会で、人種による対立があるが、日本社会は単一で、かつては「総中流」などと言われ、イメージとしては同じような人が住んでいる社会というものがあります。その前提が崩れているのですか。

 完全に崩れていると思いますね。ネット、特にSNSが出たことによって、それが顕在化したのが、2010年くらいからの流れだと思います。

 ――ネットが社会の分断を顕在化させたのですか。

 SNSは基本的に、つながりを可視化するツールです。友人たちとつながって、みんなが何を考えているかを可視化させました。今はつながりが見えてきたので、僕らのつながりではこれが常識だが向こうに全然違うのがいるぞ、というのが分かってきた。違う集団で話題になっていることが、こちらでは誰も知らない。その逆のこともある。そういう分断が見えやすくなった。

 ――顕在化しただけで、もともと分断していたということですか。

 そうだと思います。それを「分断」と呼ぶのが正しいかどうかは分かりませんが。

SNSが分断を加速

  • 「誰もが発言者になり、父親の権威が下がった」
    「誰もが発言者になり、父親の権威が下がった」

 ――顕在化した分断を、ネットがさらに加速させた側面もあるのではないですか。

 加速させたと思います。情報が爆発的に増え、情報をどんどん摂取するタイプの人がどんどん先に行ってしまっている。置いていかれる人との格差ができている。

 ――「新聞をとる」という行為そのものは、社会の常識でした。今は新聞をとらない家庭も増えていますし、ネット上では多くの人が堂々と新聞批判をしている。そして、その批判が可視化されています。

 誰もが発言者になりましたからね。何かのニュースが起きたときに、新聞の解説よりも価値観の近い友人の分析のほうが心に響くといったことが起きている。権力は情報を握っている人に集まるので、昭和初期の視点で言えば、お茶の間で新聞を家族に読み聞かせる父親に、圧倒的に権力があった。家族は情報弱者です。

 今はその図式が崩れて、父親以外の家族も情報を多く持ち、立場がフラットになった。メディア自体もフラットになって、自分と価値観や世代が近い人が言っていることのほうが共感できたりする。新聞だけが情報を握って、「こうあるべきである!」という上から説教する感じは、情報的にフラットになった人たちにとってウザい。

 ――かつてはお父さんが新聞を第一に読んでいたので、お父さんが一番の情報強者だった。

 そうですね。「お前たち、よく聞きなさい」とお父さんが情報を教えてくれて、「お父さんは偉い!」という関係だった。父親が尊敬された。昭和時代はそれが続いていましたが、『金八先生』のころから怪しくなりました。父権が落ちてきたみたいなことが言われたのは、家族の構成員がテレビでフラットに情報を得られるようになったからだと思います。

 ――今やネット時代です。情報も個人でカスタマイズできますし、だれもが接したい情報に接することができるようになりました。ネットの悪いところでもあるんですが。

 以前僕はその状態を「情報メタボ」と呼んでいました。みんな自分に都合のいい、読みたい情報にしかアクセスしませんよね。偏った情報しか入ってこない状況です。どんどんメタボリックになっていく。